小学生の頃、児童養護施設の近所に住んでいた。
その施設を私らは「学園」と呼んでいたが、地元での生活の中に普通にそういう施設で暮らす子がいるという数年間を過ごした。
集団登校ではその養護施設の子らと一緒に学校に行ったり、また同級生の子もいたりしたのでよく学園には出入りをしていたものだった。
そんな中、同級生の男は今思えば非常にクールな奴で、学園の中で遊びつついろいろなことを教えてくれた。
学園の前には野球のグランド一つ分くらいの公園があって、とにかく遊ばせる、というかランニングや体操をさせて徹底的に体を動かすのが学園の教育方針だった。
そんなに運動神経の良くなかった私としては「大変だな」と言うと、「小さい子が夜に眠れなくなるといけないから走らせるんだよ」と事も無げにぽつりと言った。
クリスマスが近い時期には、こちらから聞くわけでもなかったのだが(子供でもその程度のことは分かる)、奴の方から「ケーキは結構学園に届くんだよな・・・」と、感謝はしつつもちょっと皮肉な表情をしながら笑うのだった。
お世辞にも綺麗な施設とは言えなかったが、その数年間で体育館が出来たり急に設備が良くなったりというのは子供の目にもよく分かった。
絵本やら参考書やら、というものもうちにあったものと遜色もなくむしろ住んでいる子が多いだけに充実していたところもあり。
70年代後半という時代の余裕もあったのだろう。
片や、北海道は二百海里問題やエネルギー構造の転換などで経済的には斜陽。
地域全体として見れば、現在につづく貧しい部分もまだ随分とあった。
その辺の諸々のギャップについて、奴は分かっていたのだろう。
ある朝、新しく施設に来た女の子がいた。
今であれば知的障害と言うわけだが、当時は知恵おくれと呼ばれる子であった。
同学年ということもあり暫く私が集団登校から世話係にもなったのだが、考えると得がたい経験をしたのだなと思う。
今から見れば、かなり複雑な問題がその子の背景にあったであろうことは理解できるのだが。
学園の先生は親代わりで、生徒を親身に扱っていた。
その中で、猛烈に先生に怒られている子を見ることも時々あった。
普段挨拶する程度の数年上の女子が正座させられ叱られる場に出会ったこともあり、奴に尋ねるも珍しく口ごもる。
「寝小便とか・・・その他にもいろいろあってさ」とだけ教えてくれた。
身近に暮らしてはいても、施設の中は部外者が分からぬこと踏み込めぬことが多いというのも分かった。
学園にいる子は基本的にはみな普通の子。
ただ自分の想像を越えるところでの我慢や配慮を多々しながら暮らしてきたところがあるのだとはこういう出来事から知ることとなった。
中学を卒業し、私は札幌の高校に行くため地元を離れることとなった。
卒業式を終えてアルバムなどパラパラ見ているとその学園にいた、奴の将来の夢のコメント。
「カリホルニアへ行きたい」
奇抜な表記で友人間では話題になったが、私にはみぞおちを掴まれるかのような痛みが走った。
その後、カリホルニアへは行けたのだろうか。
あれだけ冷静だった奴のことだ、カリホルニアかどうかは分からぬがおそらく元気でやっていることだろう。
タイガーマスク運動なるものが広がっていったことで、昔の話を思い出した。
正直最近の状況はよく分からない。
近所の児童養護施設の思い出ではあるが、ただ自分にいろんな影響はあったのだろうと理解している。
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