2011年1月17日月曜日

「北海道」の仕分け方を考える

今日のツイッターにて、以下のツイートが流れてきた。
http://twitter.com/#!/SetsunaSakune/status/26904147836018688
北海道は拓銀を潰され、経済が悪化して、除雪費削られて、TPPとか始まったらもうダメかもしれない。むしろ中央から見れば北海道はいらない子なのかもしれないとか思ったりする。
こう悲観的な意見が出るのも道産子としては分からなくはない。
炭鉱や遠洋漁業や農業が軒並み駄目になってきた中で、あの拓銀お取り潰しのダメージは北海道には大きすぎるペナルティであった。
中央から見たいまの北海道は、たしかに「いらない子」だろう。

そのなかでひとつ気になるのは、ではこの構図をどう北海道は打破しようとするかが全く見えてこないことであり。
「中央から見た北海道」の位置づけを脱却するというのは、中央対地方という関係に慣らされてきた日本全国の地方に共通する課題でもある。

例えば北海道独立論というのは北海道の大学の先生が以前から唱えているし、そこまで過激でなくとも北海道の人口規模や面積はヨーロッパに持って行くと一つの国と同程度であることは多くの識者は指摘している。
ただ残念ながら北方圏なる概念で北欧や北米との連携はしつつも、 その辺りに踏み込んだ話はあまり聞いたことがない。
経済圏として北海道に何が出来るかということは、実際に独立を模索するというのとは全くの別次元で、思考のトレーニングとして考えておくのは悪くない。

確かに北炭(三井)や三菱や住友や、それ以外でも日魯漁業や王子製紙その他いろんな企業が北海道で明治以来産業を興すも、停滞とともに多くの事業が閉鎖され企業が撤退して行った。
でも、少し調べるとその産業や生活のために、多大なインフラ整備が行われたのもまた確かであり。
石狩平野がなぜ今のように農業ができるようになったか、函館や釧路を筆頭に北海道内の都市圏のインフラ整備はどういう経緯で進められて行ったかなど見ると、北海道ではいろいろな可能性ある機会が長い期間掛けて準備されたことも分かる。
(勿論夕張の事例ひとつ見ても、そう単純に綺麗事ばかりでもないのだが。)

これらの環境を北海道、そして道民が万全の体制で使いこなしてきたか。
そこは非常にあやしい、と私は見ている。
多くの地域資源を的確に活用してこなかった結果が今の状況でもあり。
一部のベンチャーさんが奮闘しているのは知っているしぜひ頑張ってほしいが、今のままではまだまだ厳しいのも確かではある。
「東京からみた北海道」の構図に陥っているのは何より北海道庁と道民そのもの。
東京ルールで北海道を治めようとする必要はそもそもあるのかどうか。
そして東京ルールで処置できない状況に陥ったならば、どうするかを考えているのかどうか。

仕分けをするなら北海道と道民に仕分けさせるのがいい。
仕分けられているという受身感こそが現状の課題。
そしてその辛さをこらえつつ、 どうやって自分らがプレイヤーからディーラーに成れるのかをそろそろ真剣に考える。
そしてその様子が津軽海峡を越えた側から見えなければ、状況は変わらない。
もう少しでいいので、ずる賢さを身につける必要はありそうなものだが。

でもまだ大丈夫、かなり遅いのは事実だけれど、ここから始めればいいのだから。
始められれば、の話ではあるけれど。

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