自宅の周りでも閉店するお店は確かにある。普段何気なく通っていて見ていたお店が、ある日突然閉店という次第。 特段興味もなければ「ああしょうがないな」で済むものの、ちょっと気になっていたならば「あー、これは勿体ないことをした」となる。
これが良く行く気に入ったお店だったら、また反応は変わってくるのかも知れぬ。少し買う量や歌謡回数を増やすから何とかならぬかとか店主さんに激励してみるとか・・・無論その程度で改善できる状況ならすでに対応しているのだろうが、何も言わぬよりはマシである。
放っておくと街から店が消える。この問題は重く受け止める必要がある。
自分らの身近に商店街があってある日スーパーマーケットが突然できて、郊外に大規模ショッピングセンターが出来てきた、という流れが全国にあったわけだが、徐々にそのすべてを維持するのが難しい状況が出てきている。
これまでであれば店が閉じても何らかの力が働いて新規出店が起こっていたものが、今はそこに次の店が開店するとは限らぬようになってきた。役所や経済団体が産業振興と称していろいろ支援をしてはいるものの、 大きな流れは変わらぬことだろう。
以前同様の内容で、身銭を切ってでも自分のいいと思う店できちんと金を使いましょうよ、ということを呟いたわけだが、今回もツイッターでこの件をツイートしてみた。すると、以下のような反応が返ってきた。
http://twitter.com/#!/nimben/status/41731889047941120
御意。通うことが経済的にも「いいね!」といったことになりますから。“@assamtea: 以前にも記したが、自分がいいなと思うカフェやラーメン屋や定食屋は、そう思うだけでなく積極的に利用するのがいい。そうしないと簡単に無くなってしまう状況が地方都市には訪れているわけで。”・・・そうか、経済的「いいね!」かと膝を打つ。いい表現ではある。
我々も地域の商店や飲食店の趨勢についてはどうしても他人事のように見過ごしてしまうことがあるわけだが、そこでいいなと思ったらその店にソーシャルメディアの「いいね!」を提供するが如く通うというのも一つの手ではあるのだ。
誰かがそこで飯を食っているからその飯屋は維持されている。でもその誰かが自分なのだという意識があるかどうか。問題はその点なのかも知れない。カフェだろうが雑貨屋だろうが、八百屋だろうが全て根っこは一緒のことでもある。
人口減や都市のシュリンク、地域構造の変化などそれ以外の原因は多々ある。でも、本来的には好きな店は何度も使うことで維持できるようになる。一人の金額など知れたものではあるが、意識して経済的な「いいね!」ボタンを押すなり友人に勧めるなりするのだ。これも地域経済の「見える化」の一環なのかも知れない。
どうですか、行きつけのお店、最近行ってますか?
1 件のコメント:
えらいさんの集まる会議では「こうあるべき」「こうなったら良い」ってな会話が往々にして繰り返されるわけですが、えてしてそういうことをのたまわれるお方が提案したイベントなり事業なりに、当のご本人が関わられることをお見受けした試しがありません。あっても冒頭のご挨拶だけ。有「識」者ではなく、自ら参画する有「職」者会議であれば、そんなこともなかろうにと思いますね。たぶん「商店街」でも「カフェ」でも、本当に利用したいと思う人は、普段から利用しているはず。商店街振興などは、補助金投下などのいっときのカンフル剤注入ではなく、そうした「利用したい人」に訴求しているのかが一番のポイントになるのでしょうな。
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