2013年12月30日月曜日

「あまちゃん」の中で語られる「お金」のはなし

 NHK連続テレビ小説「あまちゃん」、今年2013年の4月から9月までお好きな人々には熱狂的な反応を引き起こすドラマとなった。ヒロインのアキを演じた能年玲奈さんの愛らしさと強さを備え持つ怪演ぶりや脇を固める俳優陣の層の厚さ、宮藤官九郎の脚本の緻密さに魅了された方が多数であった。そして本日(12月30日)総集編の年末版「あまちゃん祭り」も放送され、暮れの大掃除を放り出して多くの方がご覧になったようである。
 いいタイミングなので、以前私が「あまちゃん」のオフ会に参加した時に話したことを、ちょっとだけ記しておきたい。

 ドラマにしては、話題としてお金のはなしをすることが「あまちゃん」では多かったなということ。
 主人公のアキが海女として働く際に、海底のウニを獲ってくることになるわけだが、それをしきりに祖母の夏ばっぱが「500円」という表現で示していたのは印象的である。その前後でもウニ1個500円を用いた表現は様々な局面で登場する。
 ともするとドラマでの漁村の仕事の風景としては銭金の話を前面に出すのは生臭いことになりかねぬが、地域振興を研究テーマとする者としては、「あまちゃん」のフィールドであるこの地域が如何にして稼ぐかということを日々追い求めていることがこの表現から垣間見えるいい設定であったと感じている。
 そして、アキが海底から獲ってきたと水面に上がってきて、皆がアキがウニを獲ってきたかと注目するとその手にあった500円玉を掲げるシーンも、一見笑いを提供するように見えつつもその延長として存在する。東京から見れば穏やかな漁村が、また地元の彼ら彼女らにとっては決して単なる牧歌的な田舎ではなく経済活動の一環で動いていることが設定されそれを強く主張するシーンとして記憶されるものである。

 震災で津波被害を受けた後、海女カフェを再建しようとする際のシーンも興味深い。
 寄付やその他の資金で900万円強が確保できるという現実と、理想的な海女カフェを再興するには1200万が必要という試算を、海女たちが集まって並び電卓を叩くというのもコミカルにしてお金という現実を見る側に突きつけてくる。
 別に具体の数字を見せずに、金が足りないということでストーリーを展開しても何も問題はないのだが、この金額が画面にぐっと示され、その上ででんでんが演じる組合長が実際に何を削るかということであれこれ工夫しながら海女カフェ再興にこぎつけることとなる。
 勿論、こういう細部はいい加減である。ドラマはファンタジーであって現実をリアルなままに示すものではない。しかしこういう設定をストーリーの中に織り込むことでの、その地域の状況をえぐりだしてくれるのもまた脚本の妙ではある。

 その他、海女集団が自分たちをただの海女ではなく「観光海女」と称するのもこの辺りとは深く関わる部分がある。お金のはなしはその一部分に過ぎず、とにかく海女集団を中心として「あまちゃん」に登場する北三陸市の人々が皆自分たちが動き、見せてゆくことで何かが変わるということがプログラムされているかのように元々お話の基礎部分に埋め込まれていたのが、この「あまちゃん」なのであろう。

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