2011年12月28日水曜日

来年度のことなど、ご報告


11月より、勤務する仕事場について新聞各紙での報道などあり、一部ご心配やご質問をいただくようになってまいりましたので、ここで現状を報告させていただきます。

現在の勤め先である早稲田大学WABOT-HOUSE研究所は、プロジェクト期間満了に伴い今年度末で活動が終了します。
早稲田大学では岐阜を中心とした中部圏にて現研究所の活動を引き継ぐ新組織の設置を準備しておりますが、私を含む現研究所の専任の研究員は全員が契約任期満了ということで3月末で退職いたします。
私自身は早稲田大学との1年契約を繰り返してきましたので、これは既定路線とも言えます。

そして、私ですが来年度より栃木県小山市にある白鴎大学に勤めることになりました。
都市の経営の観点からベンチャー論やNPO論、さらにメディアや表現に関わる分野を担当する予定で、これまで岐阜で進めてきた「ロボット・先端技術による地域産業振興」からより広く都市論、地域資源や地域振興についての研究を進めてまいります。
新居についても小山市に置く旨準備中で、遅くとも3月には栃木県へ転居することになりそうです。

とりあえずは上記の通りで、地元での関係の皆様には年明けからご説明に上がりたいと考えております。
中部圏での新組織にも外部からですが関わってゆく予定で、現研究所で進めてきた幾つかのプロジェクトはそこで継続してお手伝いをしてまいります。
現研究所活動終了の報道に際して、岐阜の地元の多くの方にご心配いただき、また様々な支援のお誘いを頂いたことには大変感謝しております。

年度内は現在の業務を研究所にて行なってまいりますので、これまで通りお付き合いを頂きたく、どうぞよろしくお願いいたします。

以上です。

2011年12月5日月曜日

糖質制限による減量を始めて1年になる

この12月で「糖質制限」なる食事法を始めて丸一年になるのでここでまとめてみる。

2010年の秋に検診結果見つつ医者と話す中で、現在はまだ正常値だが血糖値が上がる傾向があるので注意したほうがいい、何よりそろそろ体重を落としたほうがいいのではという指摘を受ける。
思えば酒こそあまり飲まぬものの、食生活はめちゃくちゃ、睡眠不足で、運動らしきものは街歩きだけという始末。
体重も自己最高を記録する状態で、40になる前には何とかしなければという思いはあり。
ただジムに通えるわけでなし、厳密なカロリーコントロールも会食や外食の多い身としては難しい。

・・・という中で、「糖質制限」という考え方を知る。
元々はアメリカの糖尿病治療の指針として、食事のカロリーコントロールではなく、食事中の糖質摂取量を制限するというものがあり、それが結果として減量につながるというものであり。
日本では、京都においでのお医者様がここ最近「糖質制限」をパワフルに広めておいでだったのをネットで見た次第。
糖質というのはお砂糖やデンプン・炭水化物などの総称で、最終的にブドウ糖になるものを指しており、広い意味では食物繊維などもふくまれるようだが、この場合は省く。
要は、血糖値を上げないようにするには、血糖値を上げるもの自体を摂取しなければいいという考え方。
実はお医者さんの中には猛烈にこれに反対する人もおいでで、あくまで実行は自己判断ということは記させてもらう。
日本の食卓で考えると、白飯などの穀物、ラーメンやうどん、そば、パスタなどの麺類一般、さらに人参やかぼちゃなどの一部の野菜は糖質を多く含んでおり、そこを減らす≒食べないよう選べばいい、ということであり。
一般的に考えると、主食の摂取量を減らせば自動的に糖質は制限できるということ。
そして、お菓子、ケーキやソフトドリンクでお砂糖などを含むものを摂らない。
元来の紅茶党としては、カフェでのケーキやチョコレートを断念することになり、これはなかなかつらいもの。
しかし、糖質制限では夕食の糖質を減らすライトなものから、生活の全てで出来る限りの糖質を減らすヘビーなものまであり、自分の状況を考えると差し迫ったものを感じ、一念発起し全ての糖質を制限する方向に進む決断をした。

思えば、我々の生活の中にはあまりに多くの糖質を含む食品が存在している。
ラーメンもお寿司も(寿司は白飯とともに寿司酢が多くの砂糖を使う)、ケーキやクッキーもNG。
果物も、バナナなど糖質の高いものがあり避けねばならぬとともに、その他の果物で低いものも量を減らすのがいいということになっている。
ただ、この糖質制限の面白いところは、糖質を含まない食品については全く問題なく摂取して良いことにある。
例えば、野菜一般は勿論だが、肉や魚、卵、乳製品といったたんぱく質、脂分は他の病気などがなければ自由に摂取して構わなく、よって焼肉もチーズも、お刺身も問題なし。
分厚いステーキも、塩コショウでの味付けであれば糖質はほぼゼロである。
さらに、意外なのは調味料としては高カロリーのマヨネーズがOKということであり(卵と油!)。
むしろローカロリーのドレッシングなどに案外糖質が含まれていたりする。
確認をしてみると、最近ではスーパーの食品にも物によっては箱に100gあたりの糖質量が記載されていたりするので、重宝であり。

とは言え、糖質制限開始初期には大変違和感に悩まされることになる。
普通に食事して、ご飯はいらないとすると何かでの埋め合わせが必要になる。
初期に考えた末に手を出したのが、ゆでピーナッツであり。
ナッツ類は物によって糖質が多いものと少ないものがあるのだが、ピーナッツは糖質の少ない代表。
さらにそれを茹でてあるので「かさ」が増えて、腹の足しになる。
お腹が空いたら、手のひらにゆでピーナッツを乗せてもぐもぐとやる、そんな習慣がついた。
その後には、冷蔵庫にチーズを常備するようになる。
食事の横にチーズを置いておき、具合によってはそちらにも手を伸ばす。
糖質制限関係の書物などを見ると、糖質制限をする場合にたんぱく質などの増量が指摘されている。
要は、予想以上に体重が落ちてしまうということであった。

私の場合、最初からヘビーな糖質制限をした結果、1ヶ月ですとんと4kgほど体重が減った。
最初の数日慣れてしまうとあとは惰性と言うか習慣にするだけなので思っていたほどの違和感はなく、何より主食を抜くだけという生活は進めやすい。
外食の場合でも、定食のご飯抜きで、唐揚げやお刺身の小鉢をひとつ追加するという具合で切り抜けられる。
また行く先々での外食の場合に、ビュッフェ形式で自由に料理が選べる店を提案するようになった。
お客さんはピラフやらサンドイッチやらお選びだが、こちらはサラダ山盛りにステーキに魚料理に、という形で糖質制限を継続できるのは大きい。
ヘルシーに思えるが糖質の多い食事群と、糖質制限の実行の様子というのは、お皿の上の見た目に随分とギャップがあるのが、今では一種の快感ですらある。

そうして今年の3月頃までには15kgほどの減量に成功。
人生で減量をするという機会もなかったもので、少々あっけないとともに、体調の良さにも気づく。
体重が減る物理的な効果ももちろんあるが、おそらく血糖値が上がらないようになったのだろう、食後の眠気というものが殆どなくなった。
食事をすると眠くなる、というのはどうも当たり前のものと考えていたが、そうではないのかも知れないという思いが強くなり。
私の家計は母方を中心に糖尿病が多く、あまり不思議に思ってこなかったところがあったのかも知れない。
震災の時にも、いろいろ気をつけながらも糖質制限の食生活は継続し、夏前には20kg減量を達成。

その後、少し体調を整えつつ、生活の質を考えながら場合によっては食事の中で糖質を摂ることも再開しつつ、徐々に現在の体重と生活習慣を維持するようにし、僅かずつ減量することを続けた。
例えばカレーライスというのも糖質制限には最上位の禁忌(ご飯に小麦粉たっぷりのカレールー!)でもあるのだが、やはりたまには口にしたいもの。
そこで、ココ壱番屋などで、御飯の量をできる限り減らしてもらい、唐揚げやシーフードなどのトッピングで量を調整していただくなどの工夫をするようにして、食べるようにした。
クッキーにしても、カフェに行ったら一口二口くらいは食べてみたいわけであり。

ただ、これまでのように野放図に飲み食いしていたら全てが元の木阿弥。
基本線は摂取する糖質量をできるだけ減らすということは変わらない。
そして、自分がどうもこれまで、生きる上で不必要なものを無意識に口にしていたのではないかという思いがある。
生きる上で食べるというのは必須の行為。
そこに、僅かながら自分がきちんと考えながら関わるようになったのかなというのが、糖質制限を始めてみての自分の感想。

現在は1年経って、25kg減というところまで到達。
元々の体重がありすぎたわけでまだまだ平均的な体重には距離があり。
なので、もう少しこの食生活を続けて、少しずつだが体重を減らす方向でゆきたいと考えている。
注意点は、内臓に疾患があったりする人にはお医者の指示が必要ということ。
あとは、血糖値の薬を飲んでいる人は低血糖の可能性もあるのでその辺りは自己判断で始めないこと、というのがあるよう。
ネット上でも「糖質制限」で検索すると少なからぬ方が開始しているので、そちらも参考にしていただきたく。
すべての方への効果はわかりませんが、血糖値を下げる方向での減量、ダイエットをお考えの方にはいい方法だと感じています。

以下に、参考にしたWebと本を記しておきます。

ドクター江部の糖尿病徒然日記
http://koujiebe.blog95.fc2.com/

「主食を抜けば糖尿病は良くなる!糖質制限食のすすめ」(江部康二著、東洋経済新報社)

2011年11月5日土曜日

iPad2購入半年経過

さて、iPad2が我が家にやって来て半年が経過しました。
その後の使い方とその状況について簡単にレポ。

当初自分の中でも多様な使い方を考えておりましたが、正直あまりその方向では活用できているとは言いがたいのが現状です。
何を言っているかというと、iPadは結局「極めて優秀なビューワー」であるということ。
それ以外の使い方についてはノートPCには劣るけれども、ビューワーとその周辺領域の作業としてはノートPCが追いつけないほどの、かなりの強みを発揮するということです。

TwitterやFacebookといったソーシャルメディア周りの書き込みや閲覧であれば、もうこれはiPadで十分。
メールについても大抵の場合についてはiPad上で開いて、そこで即返事を出すことには何も問題はなく。
添付ファイルについてもよほど意地悪(?)なものでない限りは無問題。
文章についてもA4一枚くらいであればほとんどストレスなく入力可能。
お試しで学会発表の概要をiPad上で作成し送付して、誰にも知られずニヤリとしたり(笑)。
これら作業をデスクでだけでなく、ソファーに寝っ転がってやったり、カフェで資料整理の合間に片付けたり、ということが容易にできるようになった効果は大変大きかったと言えます。

その代わり、パワーポイント(≒Keynote)の作成であるとか、エクセルデータの修正とか、やや込み入った作業はやはりノートPCのほうに軍配が上がる感じ。
iPadからプロジェクターへ出力できるコネクタも購入してはありますが、正直なところ一度プロジェクターで「おお出る、写せるぞ」という自己満足的に実験した後は自宅でコネクタがホコリをかぶっております。
元々がWinにてパワーポイントを多々作成しており、その部分での移行はまだ難しいかなという個人的な事情もございました。

ただ、お仕事環境とネット接続の無い環境の間に、iPhoneを皮切りにiPad、そしてその他OSでのタブレット系列の新大陸を最初に築いたアップルさんの功績はやはり大きいものと感じています。
自宅でむやみにノートPCを開く回数は圧倒的に減り、iPadが常時接続されていることでネット上の書き込みやメール処理などを粛々とこなす形にスタイルが変わって来ました。
余計なことを言えば、最近はFacebookなどのメッセを使うことが増えたこともあって、メールという物自体の量も徐々に減ってきている印象があります。
ネット環境は時々刻々変化してきているのでしょう。

そして、iPadが3Gなしのものだったこともあって、docomoのXiの無線LANルーター(L-09C)を購入しました。
WiMAXがエリアがやや狭いことと室内での弱みがあることを知って、突発的に購入したわけですが、これはまた快適。
別の機会にこちらは感想を記すことにします。

まとめてしまうと、仕事の仕方や、仕事の環境をがらりと変えたい人にはiPadはお勧め。
そして、家でも仕事してないかのように見せたい(?)御仁にもいいツールかも知れません。
雑多な作業であんまりデスクにかじりつかないように心がけている自分には合っていたんでしょう。
これからもしばらく使い続けたいと思います。

そうすると、現在使っているiPhone3GSがやや問題になるわけですが、これも別の機会に。

2011年8月17日水曜日

オアシス21で、中部電力の「緑のカーテン」を見る

用事で名古屋の中心部、栄へ行きました。
バスターミナルと商業施設を兼ねた建物、オアシス21へ寄った時に。
お盆休みということもあって子供たちが走り回ったり、お化け屋敷での絶叫が聞こえる脇の方に。
目の前にそびえる緑の壁が。










そう言えば前もあったけれどもっと小さかったなぁと思いつつ近づいて見る。










所々に大きくなったゴーヤーがぶら下がっております。
これは見事なゴーヤーの葉による日陰空間。










説明書きを見ると、中部電力が取り組んでいる「緑のカーテンプロジェクト」の一環とか。
バブル期の電力消費量の増加を期に始めた活動のようです。










電力会社は福島原発の問題もあっていろいろ厳しい局面に立たされては居るのですが、中にはこういうことを地道にきちんとやって居る人もいるのだよなぁと感じたりするのです。










建物で言えば3階分くらいはゆうにある高さまで伸びていますが、根元は結構華奢なもの。
つると葉を背後の網に絡ませながら、悠々と伸びてゆくゴーヤーの苗。
私の仕事場でも実はゴーヤーを育ててるのですがとてもここまでは及ばない。
ちょっと羨ましいくらいの目で、この緑のカーテンを見ておりました。










下から仰ぎ見ると、少し気分のいい感じもあったり。
商業地にしてビジネス街でもある名古屋の栄の喧騒ですが、中にはこんな空間もあるということで。

「緑のカーテン」(中部電力)
http://www.chuden.co.jp/energy/kankyo/chiiki/curtain/index.html


2011年8月15日月曜日

身近にありますか、給水スポット

お暑うございます。
岐阜もこのところ毎日のように猛暑日となり、ひどい暑さが続いています。
お空がもう夏っ!という感じを主張しています。
画像は岐阜駅と駅前の超高層ビル。



そんな中、少し涼しいネタを。
JR岐阜駅の改札を出た2階のデッキ部分に、こんなものが設置されています。








「岐阜のおいしい水」と幟が立って看板が設置されています。
ここ、岐阜市の水道水が提供されているのです。
ただ水道水といってがっくりされませぬよう。
岐阜市の水道水は、長良川の伏流水を使ったものです(地域によって井戸からのものもあります)。
長良川の水自体が元々綺麗なもので、最低限の処理で水道水として供給されています。
この水道水、大変美味しゅうございます。

ここ数年の夏の暑さ、さらに今年の節電の流れもあって、街中のこういう給水スポットは大変ありがたいもの。
でも他の自治体ではあまりこういう形での給水スポットのPRは聞かないものです。
自販機や店頭でペットボトルの飲料を販売するのもいいですが、安全に安価に飲料水が確保できるのであれば、そのメリットを存分に活かすのも手だろうと思います。
熱射病の回避のために、街中にあるこういう給水スポットの情報を自治体や市民が取りまとめるのもいいかも知れませんね。
私はマイボトルに氷とお茶を詰めて歩いているので、飲料を飲み干すとここでボトルに水を追加したりという使い方もしています。

そしてここの脇にはもう一つ水がらみのポイントが。







愛知万博で有名になったミストの噴霧器が屋根に設置されています。
元々が汗かきなもので、この程度のミストでは焼け石に水状態ですが、爽快感は確かに得られるのではないでしょうか。

暑さにうなるばかりではいけませんで、どうそこを乗り切るかも大切。
お役所もちょっとの遊び心で、酷暑も楽しみに転換できるかも知れません。
そこに、安全と安心も加味して考えて見た、いい企画だと思います。

2011年8月7日日曜日

エクセルシオールカフェの「抹茶ソーダ」をいただいてみる

今日の暑い日曜の午後、熱風を避けて涼みに岐阜駅の中にあるエクセルシオールカフェに逃げ込む様に入りました。アイスティをいただき極楽気分でくつろいでいると、Twitterを見ると面白いツイートが。

@daichi さん「ドトールの新製品、「リモティハニー」(レモン+緑茶+はちみつ)が激しくマズい。レモンと緑茶の苦味の嫌な部分とはちみつの甘ったるさが足を引っ張りあって、1+1+1=0になっとる。」(正式には「レモティハニー」)

・・・そうそう、チェーン系のお店でも時々へんちくりんな商品を出すことがあるよねぇと頷きつつ、壁にふと目をやると、ポスターに、

「NEW 抹茶ソーダ」

の文字が。

これはひとつ「人柱」にならねばいけないなぁということで、注文。450円。
この時に、エクセルシオールカフェがドトール系列ということはふっと脳裏をよぎったのだけど、取り敢えず考えないことにして次へ。




見た目は爽やかそうな感じで、ペリエの小瓶と、グラスには抹茶シロップと思しき物体が。ミニパンフもついて来て、ペリエをなみなみ注いでかき混ぜるのだとか。この時点で若干の負け戦感を持つ。




小瓶ゆえこのサイズのグラスに一杯入る程度の量。
先にシロップが入っているので炭酸水入れても下に溜まっている形で混ざらないので、ストロー使って何度もかき混ぜるがなかなか混ざらない・・・。
まあ飲み物だしまずは適当にいただいてみようと思いひと口。

うむ・・・思っていたほど美味しくない。炭酸水で割りつつも抹茶シロップの甘みがくどい。もう少し飲み進めるも、氷ぎっしりにシロップの入ったグラスにペリエ入れてもかき混ぜるのに難儀。
これは、抹茶成分とシロップ分けて甘味無しで出して、客の好みでシロップを投入してもらえば良かったんじゃないかと。

で、結局半分ほど残して店を後にすることに。私はちと苦手な味。

帰宅後、ふと思いつきTwitterで「抹茶ソーダ」を検索すると、全国で味わった人の評価がずらりと並ぶが正直見事に真っ二つなのに苦笑してしまう。おそらくエクセルシオールの本部では、ある程度この状況を確信犯的に理解して商品化したのだろうと。

またある人が「夏場に固定ファン得られそうな予感。やっぱ万人にうけるよりこれくらい尖ってる商品の方がいい!」というツイートをしていたのが印象的。
鉄板の定番商品も大事だけれども、こういう好き嫌いのはっきり分かれるものもラインナップには必要なのでしょう。
多分私は次はまた紅茶に戻るだろうけれどね。

2011年8月6日土曜日

ノマドワーカー向けの新しいカフェ、原宿の「THE TERMINAL」に行って来ました

東京での仕事が早く終わったので、話題になっていたカフェ「THE TERMINAL」へ行って来ました。ノマドワーカー向けのサービスが充実しているというのが売りで、立地も原宿のど真ん中ということで、どういうところか見て見たいというところもありました。

JR原宿駅から竹下通りを抜けて明治通りを渡り左斜め前に進んだところに、カフェの入ったビルが有ります。今日はオープニングということで、ポスターが貼って有りました。





階段を登って3階のお店に入ると、オシャレなカフェが。
中ではまず会員登録を促され、iPadを手渡されます。24時間使えるネットカフェという側面があるので、マンガ喫茶と同様に身分証が必要ということの様です。
名前だの住所だのいろいろ登録してiPad返却すると、数分で会員カードを手渡されます。私は日頃使ってるので問題なかったですが、iPadに不慣れな人は結構登録に難儀していた様子。店員さんが入力は手伝ってくれるようなので問題は無いでしょう。会員登録は150円。





席に座ると、インテリアの独特さに気がつきます。
詳しくは公式Webを見ていただくといいのですが、デザイナー渾身の作ということのようです。高級な作りということではないですが、やりたいことは十分に伝わって来ます。
店内はお客は今日は男性が多めでしたが、女性も結構おいで。





自分のiPadをカバンから出してみると、無線LANがお店の名前らしきオープンなものを拾うので勝手に接続。この辺りは店側からの説明は特段無し。まあある程度「分かっている」人を客層として考えているんでしょう。
ドリンクはコールド系だとコカコーラのディスペンサーが置いて有りカルピスや爽健美茶なども飲み放題。ホットはコーヒーのみなのが紅茶党的にはちと残念。





初日ということで混雑も予想していた割りには店内はお客は少なめ。椅子が座りにくそうという評判も有りましたが、壁際にはクッションの置かれた長いソファ席があり最初はそちらに陣取り、途中から上の画像のソファ席へ。これは座りごごちは大変良かったものの、このセットは一組のみ。争奪戦は避けられぬかも知れません。
むしろ窓際の日当たりのいい席も天気のいい時などは気持ちいいかもと思いつつ見ていました。





テーブル上やソファ席の足元などには電源がこれでもかという程に配置されていました。数えはしませんでしたが、席数分のコンセントがあるのではないでしょうか。限られた電源を奪い合う心配はなさそうです。

プリンタ&コピーでRICOHの複合機が設置してあったり、カウンター後ろにはミーティングスペースが二箇所設けられてあったりと、確かにノマドワーカー向けのサービスも充実。確認すると、会議で使うには電話で空きを確認すればOKだけど、参加者は全員会員登録は必要とのこと。まあ150円ですから痛くはないですが、長い会議はしなくなりそうです。

そして、1時間ほど滞在してお会計。
30分190円ということで、530円払ってお店を後にしました。3時間や5時間のお得なコースもありました。

感想としては、仕事で使うには十分快適な場所と思いました。マンガ喫茶のような少々重苦しい感じはなく、お客も皆淡々と作業をこなしている風で、こういう雰囲気が嫌いじゃないひとにはオススメ出来そうです。
ただお店が狙ってるように、会員相互の交流などがあそこで起こるようになるにはひとつふたつ仕掛けが必要かなとも感じた次第。そこはメールでの情報提供などあるようなのでそこに期待したいところです。

お店のWebは以下の通り。
http://theterminal.jp/index.html

2011年8月4日木曜日

8月23日(火) 、街歩きパネルディスカッションを早稲田大学大隈講堂大講堂にて開催

8月23日(火) 、早稲田大学大隈講堂大講堂にて以下のパネルディスカッションを開催します。
画家で日本芸術院会員の藪野健先生(早稲田大学)、雑誌「新建築」の元編集長の中谷正人先生(千葉大学)、新進気鋭の建築家で建築・都市問題についてアクティブに発信する藤村龍至先生(東洋大学)にご登壇をいただき、不肖私、小笠原伸(早稲田大学)が企画、司会を行います。

なおこのパネルディスカッションは日本建築学会大会のものですが、どなたでも申し込み不要で当日に一般参加可能です。街歩きや都市空間、ワークショップなどにご関心ある多くの方の参加をお待ちしています。

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パネルディスカッション
街を歩くことから始まる、
建築・都市の読み解きと未来への構想

日時:2011年8月23日(火)9:15~11:45

近年テレビや新聞雑誌などでの街歩き人気が高まるなか、元来都市を徘徊し町並みを見つめ人々の生活を注視してきた建築分野の人々が街を歩く状況はどうなっているのだろうか。日本建築学会では「東京ウォッチング」を初めとした多くの街歩きに関するワークショップを長年企画運営してきたが、ここで一度その確認を行う必要を感じている。

このパネルディスカッションでは都市というフィールドに出てそれぞれの分野で活躍する街歩きの達人が異なる立場からの街歩きへのメッセージを会場の皆さんへ発信し、街歩きの可能性とその未来について意見を交わしてゆく。

建築家、画家、編集者、都市論の研究者という複数の円環が都市の現場で複雑に重なり合うことで、街歩きの魅力やその隠れた意味について刺激し参加の皆さんの中での新たな都市観を創出するとともに、街歩きや建築・都市の読み解きの重要性について知らせその生産的行為の価値についても広めてゆきたいと考えている。特に建築を学ぶ学生へ向けては、作る行為以前の見つめ思考する場としてのフィールドワークの意味について考えてもらう場としたい。

そして単に建築学分野にこの成果を回収するだけでなく、この流れを社会へ開く形での「街歩き学徒」や「街歩きを楽しむ人々」の集結の機会にしたいと願っており、日本建築学会大会への参加者のみならず、都市を歩き見つめることに関心ある多くの一般市民の皆さんの来場を歓迎する。

司会 小笠原伸(早稲田大学)
記録 田中元子(mosaki)

1.主旨説明 小笠原伸(早稲田大学)

2.主題解説
(1)画家の観点からみる都市・建築の姿 藪野 健(早稲田大学)
(2)建築を学ぶ学生への建築の見方を考える 中谷正人(千葉大学) 
(3)建築家の観点からみる街歩き 藤村龍至(東洋大学)
3.討論
4.まとめ

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その他の学会大会での研究集会やパネルディスカッションは以下に掲載されています。

2011年7月8日金曜日

自治体向けのご提案 〜節電からオフピークへ〜

節電ネタをこのところ扱っているうちに、いろいろ情報が集まって来ました。そして世の中が節電で右往左往しているところもあるので、「ひとり電通」ならぬ「ひとりシンクタンク」で自治体さん向けにオフピークの要点をまとめてみました。
大した内容ではありませんが各地の自治体さんや企業、団体さんでもし必要があれば使ってください。
仕組みとか環境に手を入れるところはいろいろやり方はあるので、分からなければお声掛けください。
正直、あまり上手いやり方をしていないところは結構多いです。

そして、本当に使ったところあれば一声掛けてくれると末端研究者としては有難い限りです(笑)。
余計なことを言えば、この機会はいろいろ「変わる」チャンスでもあります。

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自治体向けのご提案 〜節電からオフピークへ〜


1.節電とオフピークとの違いを理解する

まず各電力会社が地域社会へ求めている節電の意味を的確に把握すること。
電力需要のピークになる時間帯の消費量を下げることが一番の目的。これを「オフピーク」と呼ぶ。今回必要なのはこのオフピークへの取組み。
全国的には平日の午後、13時から16時までが重要と言われるが、曜日や時間は電力会社ごとにやや異なる。中部電力管内は月~水の13時~16時まで。
むやみな節電、特に深夜や早朝の節電は電気料金のカットを目指す以上の社会的な効果は現在のところ薄いといえる。

2.オフピークに効果ある対策

平日の13時から16時までの電力消費の削減ができることが重要。
照明の削減、空調設定温度のアップ、クールビズなどは実行する自治体や企業はすでに多い。

これに加えて、

・仕事の仕組みに手を入れる
・仕事の環境に手を入れる
・自治体、市民として地域全体の電力消費を下げられる施策には、躊躇せずに電力を使う決断をする

などが必要。

現在の仕事の仕組みや環境を維持しながらオフピークを進めるのはかなり困難な作業になることを理解する。
業務内容や組織を夏期限定で組み替えられる自由度があるかどうかが鍵でもある。
そして自治体の役目として、地域全体として電力消費のオフピークになる施策については躊躇せずに電力を使うことを決断すべきであろう。
これは自治体にしかできぬことである。

3.オフピークに効果の無い、もしくは効果の薄い対策

例としては

・サマータイムの導入
・無鉄砲な打ち水
・街中の噴水の停止
・深夜や早朝の街路灯などの照明の削減

などがある。

業務への負荷が大きい割にオフピーク効果がない、もしくは極めて少ないことはすべきではない。
また合理的な判断で効果が薄いと結論づけられていることもすべきではない。
また、地域的な象徴として見える部分の削減を行うことも、むしろその悪影響を考慮すると得策ではない。
地域の安全や安心の確保に必要な部分も同様である。

4.楽しんでオフピークするための事例

夏期の電力使用量の少なからぬ部分に空調の使用がある。
オフピークが必要な時間帯に、空調を地域内でバラバラに各自の家や仕事場で使っている状況を出来るだけまとめてゆけば結果的に電力使用量は圧縮出来る。
無理せずに、出来るところは楽しんでオフピークに取り組むのも大切なことである。

例えば、

・空調を効かせた公共施設の開放(荒川区など)
・商業施設、商店街などでの集客に冷房や冷たいお茶の提供を活用(市川市)
・高校野球の中継を公民館などを使ってパブリックビューイング
・数家族で集まって一軒のひとつの部屋で空調を効かせて過ごす
・家庭や仕事場でも、皆が集まるなどして空調を入れる部屋を減らす

また業務のピーク時間の回避、休業としては、

・ピーク時の休暇取得の推奨(岐阜県など)
・ピーク時の窓口業務の閉鎖、集約・夕方以降の業務の推奨
・午後半休日やそれに代わる土曜日開庁の設定
・週休3日や秋以降への業務日振り替えの検討
などがある。
暑さ厳しい時間にその仕事をしなければいけないか、という判断がここには必要である。

5.弱者への配慮

むやみな節電は高齢者や乳幼児、病弱者には熱射病その他生死に関わる問題となる。
一般の人々にも体調不良の原因となる恐れもあり、その点で配慮が必要である。
精神論で節電の重要性を説くと、電力が必要な人まで節電を強いられる可能性がある。
あくまで合理的に節電の必要を広めるべきである。

・地域内、もしくは公共施設、企業などで、空調を効かせた部屋を準備しその存在を周知する
・体調不良時などには優先してその部屋を使うよう誘導する
・自宅においても、外出できない高齢者らは空調の使用を躊躇しないよう自治体は指導を行う
・空調の28度設定が室温28度をキープ出来るとは限らず、室温が28度を超える場合には設定温度を下げたり日射量のコントロール、気密の確認などを行うことが必要

などがある。

6.おわりに

これらの内容で市民からの不平や批判が出ることも考えられるが、これまでの地域との関係づくりが出来ているかどうかも節電・オフピークの有効な展開には大切なことである
そして実行するに当たり、自治体トップや組織の柔軟性も問われることになる。
無理な節電による死者や被害者が出ないよう願う限りである。

以上

2011年6月29日水曜日

節電・オフピーク騒動・・・その続き

 世に流布する節電の間違いとオフピークの意味についての、一つ前のエントリーが随分と多くの方に御覧頂いたようで誠に有り難い限り。おそらく皆さんが現在の節電騒動に疑問を感じておいでだったのだろうと勝手に想像をしている。
その後情報を頂いたり、悩ましい事例を見るようになったのでここで追加をしてゆきたい。
節電で公園の水遊びストップ 県内公園、せせらぎ、噴水中止続く(下野新聞)

夏場の電力不足対策として、宇都宮市は管理する15カ所の公園で、水遊びができる人工のせせらぎや噴水を今秋まで中止することを決めた。水の循環やポンプでくみ上げる時の電力使用に配慮した。栃木市内の一部の公園でも、停止や稼働時間を短縮して対応。例年、涼を求める親子連れでにぎわう夏の光景は「節電」で様変わりしている。
噴水のポンプというのはいったいどの程度の電力を食うのか知らないけれど、子供や家族連れが楽しむ公園の水辺の風景を役所の判断で奪わねばならぬほどの切迫した節電なのかとは思ってしまう内容。
他の方からも、「止めやすいところを止めているのでは」という指摘。多分その通りだろう。
確かに街中で目立つ所にあるものを止めるというのは一種のショック療法的ではある。市民に対して精神論に訴えるには公園の噴水を止めるのは効果的なのだろうが、この電力危機は精神論で乗り越えられるほど生易しいものでもない。節電の名の下に、市民のささやかな楽しみを奪うのは得策ではなく、あくまで合理的に判断してゆかねばならない。
・・・噴水のポンプの電力量が分かったら、その分を宇都宮市役所のどこかで節電するくらいはたやすいことだろうと思うのだが。

また別な切り口で、面白い対応も。
「残業部屋」設置で節電へ(NHK)  
夏場の電力不足に備えて、千葉県東金市の市役所は、残業する職員を1か所に集める「残業部屋」を設けて、無駄な電力消費を抑えようという取り組みを進めています。

これは記事を見て流石に「あっぱれ」と思ってしまった内容。勿論これではオフピークには効果はないものの、夕方以降の節電についてはかなりの効果があるだろうし、役所としては残業の減少にもかなり強烈なプレッシャーになる。ある人はツイッター上で「なんか居残り補習みたいで、切ないですね」とコメントしていたが少々侘しい感じも醸し出す。

節電の活動は、悲壮感与える内容ではなかなか賛同は得られない。関係する人々が「にやり」としてしまうような出来方の巧さが必要なのだと思う。つらいからこそ、ちょっとした楽しみとともに節電に取り組めるといいのだが、そういう仕組みづくりが一番苦手なのもお役所の宿命かも知れぬ。

そして現在の大きな問題としてあるのがこれ。
熱中症搬送は前年の5倍超 6月の1週間、消防庁速報値(共同) 
熱中症のため6月20日から26日にかけて病院へ搬送された人は全国で2996人に上ったことが総務省消防庁の速報値で28日分かった。先週の猛暑が原因で、前年同期の5・3倍に当たり、わずか1週間で昨年6月の搬送者数(2276人)を上回った。搬送直後に死亡した人は7人だった。
確実に言えることは、熱中症での犠牲は避けられうる犠牲だということ。ただ、自治体や地域での間違った節電の啓発は、善意で進められるゆえに否定しずらいものでもあり、さらに踏み込んで言えばこれほど罪深いものもない。合理的で科学的な根拠に基づいた施策の展開と、地域的な弱者をどう支援するかを再度自治体には検討をしてもらいたいと願う限り。

2011年6月27日月曜日

間違った節電、正しいオフピーク・・・自治体施策の混乱を見て

世は節電。
どうもこのところ猫も杓子も節電流行りとなっているが、そんな中でこんなお知らせが流れてきた。
7月から9月の区施設の利用について(目黒区)
国が掲げる最大消費電力の削減目標は、企業・家庭ともに一律15パーセントとなっています。区では、夏期の節電対策として、電力需要のピーク時間帯となる午後の時間を中心に、エアコンや照明による電力使用量を削減するため、乳幼児や高齢者を対象とした施設を除く区施設の午後の利用を中止します。
おそらく目黒区には真面目なお役人がいるのだろう。
これをやれば、役所としての電力使用量はかなり減らせる。
しかし自治体としての立場からみると大間違いでもある。
乳幼児高齢者への配慮がみられることから内部でも何らかの検討をしたのだろう。
とはいえ公共施設をある時間閉じるというのは感心しない。

岐阜でも、数日前にこういうニュースが流れた。
サマータイム:8月に池田町が導入 本庁舎などで30分繰り上げ(毎日新聞)
池田町は8月の1カ月間、サマータイムを導入する。本庁舎、教育委員会事務局、保健センター、社会福祉協議会の4カ所で業務を30分繰り上げ、午前8時始業、午後5時終業とする。
産総研も示したように、サマータイムそれ自体には今回の電力危機への効果はない。
その点ではかなり残念な政策でもある。
精神論だとしても、精神論でエネルギー問題を乗り越えようとするのはなかなか難しい。
電力会社も地方自治体も、節電とは言うがなかなかそのコアな課題は説明していない。
問題は電力供給の逼迫する平日午後の早い時間であり、そこで電力使用を抑えれば問題は解決するわけで、業界的にはこれを「オフピーク」と呼ぶ。
これは電車の混雑とか高速道路などでも使われる用語ですな。

何より、世間が節電とこのオフピークを区別せずむやみに電気を使わぬよう告知していることが各所に悪影響を及ぼしている。
真夏の暑い時期、お昼から夕方までの数時間の電力消費を抑えればいいのであって、朝晩や夜中に必要なものまで絞って我慢をすることはない。
むしろ心配しているのはこういう間違った節電が広がることでの乳幼児や高齢者の熱射病などが増えることである。
これで死者が出るようなことになると、これこそ明らかな人災でもある。

こう唸っていたところ、別の自治体では異なるアプローチを発見する。

あらかわ街なか避暑地を実施します(荒川区)
国は、計画停電を特別区では実施しないこととしましたが、電力の供給は依然として見通しが立たっていません。また、夏の暑さで、熱中症にかかってしまう危険もあります。このため、区は、節電を徹底しつつ、特に多くの区民の方々が今夏を健康に過ごせるような対策として「あらかわ街なか避暑地」を実施します。
「あらかわ街なか避暑地」は、ご家庭でのエアコンを止めて公共施設をご利用いただくことで、区全体として節電効果を向上させるとともに、併せて熱中症対策を図るものです。
・・・荒川区、よく頑張ってます(涙。
そう、むやみな節電というのは地域には百害あって一利なし。
地域的に弱者がどうこの節電を乗り切るかを考えてもらいたかった。
その点では公共施設を開放してゆく荒川区の方向は明らかに正しい。

そしてさらに一歩踏み込んだのがココ。
節電避暑地:エアコン切って街に出よう 市川市が認定、官民施設開放(毎日新聞)
市川市は今夏、日中の家庭の節電を促すため、公共施設や民間商業施設を「節電避暑地」に認定し、「涼」を求める市民に開放するキャンペーンを実施する。福島第1原発事故に伴う電力不足の備えと、商店街の活性化を狙った県内初の試み。
自治体としてはほぼ満点の施策といってよい内容。
市川市にはこれは是非とも視察に行かねばならぬと思わせる出来。

実は私もTwitterで、同様のツイートをしており。
@assamtea
いまお家でエアコンつけてる方は、エアコン切って近所のカフェ行ってお茶するだけでも電力消費の削減と紅茶による救済の両方を得られますよ。紅茶党。
お国の一大事であることは確かなわけで、でもやせ我慢は禁物でもあります。
今年の電力危機は、間違った節電と正しいオフピークがあるということは覚えておいて欲しいもの。
そして、必要なところにはお昼であっても電気は使うべきであること。
さらに、その状況は理解しておきつつ自分の負荷を減らしつつこの暑さを乗り切って生活を愉しむことは視野に入れておくのがいいとも思う次第。

2011年5月28日土曜日

iPad2購入一ヶ月

前回は購入一週間の感想を記したわけだが、今回は一ヶ月経っての様子など。
とりあえずお仕事でもプライベートでもiPadを毎日カバンに差し込んで持ち歩くようになった。
ネットものに限らずいろいろと外での活用は相当に使い出がある。
ただ、無線LANに繋がってることの重要さはますます大きくなって居るなとも感じる。
以前からiPhone持ちでもあり、出先でのソフトバンク系の無線LANのありかは確認していたが、これまで以上に無線LAN情報を重視するようになってきた。
要は、iPadを単独で使う状況もあるだろうがその際に少なからぬサービスがネットの常時接続を前提にして居るところがある。
あまり意識せずにいろいろな作業をしてゆこうとするとやはりネットに繋がって居る方が都合が良い。

一例だが、電子書籍への入り口にまず「i文庫HD」なるアプリを落としえみた。
これには元々外部のデータベースである青空文庫という著作権フリーになった古い書籍が電子書籍として読めるものがくっついており。
ここにはDropBoxなどでPDFファイルを送り込んでやると書籍として読み込むこともできる。
さらに、PDFになっている論文やら手持ちの資料やらをiPadで持ち歩くには使いこなせるアプリでもある。
ただ、使って居るうちにネット接続で別の書籍や資料やらをどうしても検索したり手に入れたくなるもの。実際私がそうだった。
3G回線でも別なストレスがあるんだろうとは推察するのでそちらとは言わぬが、Wimaxやイーモバイルなど常時接続が可能になるサービスに一緒に入るのは必須だろうと思う。

そして先日初のノートPCなしでのお泊り出張にも挑戦。
不意の仕事などが飛び込んでくる事もあり、これまでは多くの場合PC抱えて動いていたが、iPad2購入もありチャレンジした次第。
結論から言えば全くの無問題であった。
iPad上で作成した資料を出先で印刷してお仕事に使用。
ワープロアプリである「Pages」で打ち込んだ内容を、メールでワード形式にして送付、出先のPCからgmailに落として印刷してみた。
行間のイメージが結構違っていたが、現場でごく簡単に修正してそのまま印刷。
フォントが慣れたものと違ったりもするが、まあ大過なく使えると。
あらかじめPDFで送っておくと良かったのかなとも思うが、過度に体裁を気にする人でなければ許容範囲だろう。

PowerPointのファイルも幾つか試しにiPadへ送って開けてみる。
・・・流石にこれはなかなかのズレが発生。
まあ事前に状況は聞いていたのでさほどの動揺は無かったが、元々あるPCでのパワポファイルの資源をどどっとiPadに送り込むというわけには行かなそうである。
ただこれは思想の違いということかなとも思いつつある。
あまり複雑で厳密な配置のパワポファイルをこれからは作らなければいいのかも知れぬ、と。
中央官庁などはA4一枚に恐ろしい情報を細かく詰め込んで居るがああいうものは絶望的に配置はズレるはず。
情報はシンプルに並べるのがよい、とAppleの中の人は考えて居るんだろう、うん。
iPadでのプレゼンが出来るようにと、VGA出力のケーブルも購入。
仕事場のPCモニタで動作確認をしてみるが今のところは無問題。
講演用スライドなどは本格的には移行していないが、シンプルな構成にしたものは近いうちに試してみたいとも思っている。

そしてiPad2、「縦位置で使うか横位置で見るか」問題にも遭遇。
多くのアプリは縦でも横でも使えるようにはできているものの、やはりこちらの向きで使うといいのだろうなと想定しているであろう向きがある。
Twitterで聞いても縦横は人それぞれ、自分の好みというのは良く分かった。
縦だと両手で持ちながら親指メインで何とか字を打てるかなという長所はある。
横だと普通のPCのキーボードに近い形で入力可能なのは良い。
また、寝っ転がって見るには縦位置は非常に都合がいいのも分かった(笑)。
例の風呂の蓋と呼ばれ続けるオフィシャルの画面カバーだが、これは構造から言っても横位置で使う事を想定して居るが、着脱が容易なので、縦で使う時は外してしまえばいい。
やはり縦か横かは好きずきなのだろう。
今のところ私は多くの場合は横位置になっている。

ノート好きの習性で幾つかメモアプリを購入。
ただ自分の好み納得が行くものにはまだ出会えず。
無印のノートアプリもどうも勝手がつかめない。
こういうものは望むものに出会えるかどうかというところもあり、今はまだ標準のメモアプリでの入力の日々である。

最後に自分のクセなのかも知れぬが。
iPad上に浮かぶソフトウェアキーボードの「s」が鬼門となりつつある。
文章の途中で打ち込む「s」がなかなか認識されない。
お隣にある「a」は殆ど問題無いのだが・・・左手の癖が何かあるのかなと思うが、全体としては大きな不満だということでもない。
購入一ヶ月、そろそろ本格稼働かな、というところ。

2011年5月8日日曜日

最高気温とダムの貯水率をチェックしてみる。

岐阜も今日は暑くなりました。
こんな時はあまり物事を考えずに冷たいアイスティーでもいただきつつぼんやりネットでも見ていたいもの。
そんな時の私のオススメの地域ものの2つをご紹介。

その1.「全国観測値ランキング」(気象庁)
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/rank_daily/data00.html

ここ数年の全国各地の異常な夏の高温状況を思案すると共に、その気温の伸び具合をダービーのごとく観察してしまいたい人にぴったりのサイト。
データは30分ごとに更新され、何より気象庁提供。
気温について全国各地上位10観測点がランキングされる優れものです。
Twitter上では昨年からデータを見つつあれこれやりとりする有名サイトですが、一部の観測点のデータに疑問が呈されるなど( 実際気象庁が訂正を出しました)、コアな情報も飛び交いました。
さらにお好きな方には、8月の全国最低コンランキングもその下にあり、両者を見比べつつ日本列島の広さを感じることも出来ます。
岐阜県内は結構な最高気温ランキングの上位常連でもあります。

その2.「早明浦ダム貯水率」(水資源機構)
http://www.ikesou.jp/gaikyo_S.htm

もうひとつは、四国の水がめ「早明浦ダム」の貯水率推移。
四国吉野川の上流に、四国最大の早明浦ダムがあります。
貯水量も大きいのですがそれ以上に、なかなか頼りにならないということでも知られたこのダム。
渇水期になると四国の各所で給水制限が始まり、皆さんが心配しつつ祈るダムで、水没前の学校校舎が水面かから顔を出しているのをNHKのニュースでよく流されることでも知られています。
こちらも以前よりウォッチャーが多数いるダムですが、ここのサイトが結構良くできています。
個人的には画像1枚もので早明浦ダム本体と流域全体での貯水量とを両方カバーする、上記ページを時々チェックしています。

水資源機構池田総合管理所のサイトはこちら。
http://www.ikesou.jp/

・・・多少は涼しくなりましたかね?

2011年5月5日木曜日

iPad2購入一週間

4月28日、発売初日にiPad2を購入してきて一週間になる。
ここで暫く使って見ての感想など記してみる。
勿論この文章もiPad2からの書き込みである。

昨年秋頃から、自分の作業環境特にネット周りの状況改善をしてゆく必要を強く感じていた。
一応iPhoneは持ってはいるもののこれで様々な作業をこなしてゆくというのは難しく。
最低限の常時ネット接続ツール以上のものではなかった。
何より、Twitterの活用頻度が高まると共にメール数が自分の周囲で見る見る減っていた。
そういうことから、長期的には改善が必要という前提があった。
それで昨年末にWiMAXを導入し拡張性に配慮してきたわけである。
そしてもう一つはタブレットへの関心。
ノートPCは便利だが、タブレットの可能性も試して見たい、と。

当日は名古屋栄のAppleストアで、殆ど並ぶことなく、Wi-Fi64GBホワイトのモテルを確保。
実はビックカメラへも寄っていたがそちらは早々にWi-Fiモデルが品切れになっていた。
Wi-Fi3Gモデルが残っていたことを考えると、皆さん思慮の末に購入されたのだろう。
「風呂のフタ」と呼ばれるカバーもオレンジのものを購入。

栄のカフェで早速開封してWiMAXでネットにつなげてみるが、ネット使用は軽いなというのが最初の印象。
ネット以外でもさくさくと動作し、高速プロセッサ搭載と謳っただけのことはある。
そして手に持つと案外ずっしり来るなとも。
以前から議論があるが、iPad2は常時手に持つものではなく、持って使うことも出来るものという理解が正しいのだろう。
カバーを丸め畳む形で、机上にて使用に適した傾きで設置できる。
そこは納得して購入せねば不満は残りそうだ。

iPhoneでの経験ゆえ、設定などにはあまり不都合なく対応できる。
とは言え、無線LANやクラウドものの設定は通常のpc並みには手間は掛かる。
簡単だという触れ込みに流されるおじさんも出てきそうか。

ノートPCでの作業をどこまで移行出来るかというのも自分の中での課題の一つ。
それゆえ、ワードやパワーポイントでやってきた作業がこなせるかは関心として持っていた。
ということでアプリでPagesとKeynoteを購入ダウンロード。

PagesはMacでのワープロソフト。
使ってみると通常のワープロでの簡単な作業はそこそこ出来る。
ただファイルの保存から外部への持ち出し作業で難儀することに。
Pagesでは文書作成して保存しても形式を選ばない。
外部持ち出しの時にどの形式にするかを問うて来る。
しかしそこに普段使っているクラウドサービスのDropboxは入っていない・・・。
そう、iPad2だとDropboxからファイルを落とすことは出来るが更新は出来ない。
同様にやるとするならアップル社の純正サービスが必要と知る。
Dropboxで逃げ道がないわけではないのだが、ここで無理はせぬと悟る。

Keynoteでも同様。
簡単な形式で内容をプレゼンのスライドにまとめるならこれで十分。
ただプレゼンアプリは形式を動かすと盛大にレイアウトなどがずれるのは何度も経験済み。
であり、出来ることなら冒険は避けたいもの。
膨大なパワーポイントの資産をどうiPad2で活用出来るかを睨みつつ、環境整備を進めている。

電池の持ちがいいというが触れ込みではあったがこれは本当。
かなり使い倒してもなかなか電池は減らない。
むしろその影響でWiMAXの持ち時間(3.5h)が厳しく感じられるようになり、予備の電池を探すことになりそう。

日本語入力は液晶にソフトキーボードが出てきてそこで入力出来るが個人的にはあまり違和感なし。
周辺からは多少変な目で見られることもあるが、普通のキー入力が出来る人なら問題なかろう。
画面がソフトキーボードで半分隠れるのは織り込み済みだが、元の画面が大きいので不都合はあまり感じず。
Bluetooth経由でキーボードの接続も確認。
ダメな人は小型のキーボードを準備してもいい。

iPad2をかばんに入れて歩くと、体積的にも重量的にもそのコンパクトさはノートPCと比べ違い歴然。
AC電源を準備しなくてよくなっただけでも大助かりのところはある。
文字入力は多いが体裁は問われぬものが多く、メールやTwitter含めネット接続の機会が多い自分にとっては、カバーを開いただけで立ち上がってくれるのもマルであり。
(世間は風呂のフタと呼ぶカバーだが、よくみるとデキた工業製品と思わせる)。

不都合がないとは言わぬし、まだまだ状況が変わってゆくだろうと思わせるところ多いが、メリットも多い。
iPhoneのユーザーゆえ妙な幻想が無かったのも幸いしているか。
特性などをきちんと理解して購入する分にはお得かと。
今後はクラウドサービスとの相性をもう少し調査して、あとはプレゼンファイルの作成や授業への活用に挑戦して見たい。

2011年4月9日土曜日

若い皆さん、明日は選挙です。投票に行きましょう。

20代、30代の皆さん。
明日は統一地方選の前段、多くの知事や県議会議員選挙の投票日。
選挙のある地域の方は必ず投票に行ってください。

この数年で、若年層の投票行動の鈍さが具体的な若者向け政策が手薄になる状況との関係が報道でもよく伝えられるようになりました。
これまで何度も私の指摘したことですが、やっと新聞やテレビの中でもその内容が広がってきました。

若年層の投票率は60代以上の約半分。
少子高齢化に伴う人口比率を加味するとさらに実効性は低くなります。
乱暴なことを言えば、投票先は誰でもどこでもいいです。
誰に入れていいのか分からない、という人もいるでしょう。
でもとにかく、20代30代の皆さんがまずは投票することが大切です。
誰でもいいのでまずは投票に行ってください。

例えば、若者がなかなか定職につけないこと、若者の所得が上がらないこと、結婚や出産に際して様々な問題があること。
これらは今までは、自分の問題だ、とされてきたことかも知れません。

でも、若年層の課題は多くが、若者が選挙に行かないがゆえに若者向け政策が適切に進められていないことによるものとしたらどう思いますか。
自己責任として自分を責める前に、考えてみる必要があります。
でもそこに、投票に行かない人が後で文句を言っても始まりません。

明日投票に行って、そして政治に問題があれば、大きい顔をして批判しましょう。
そして、いい政治が行われれば賞賛しましょう。
その為の前提が、明日の投票行為です。
ちなみに私は期日前投票を済ませました。

ある年齢以上の人達はこのことを様々な形で理解しているのできちんと投票に行きます。
20代30代の皆さんはそのことを知っておくのがいいと思います。
私とご縁のある、全ての若い皆さんが投票をすることを期待しています。

明日は選挙です。投票に行きましょう。

2011年4月8日金曜日

ブログ再開

さて、そろそろまちあるきブログも再開です。
震災以来、まとまった文章を書く気になれず、ツイッターメインで過ごしておりました。
ただそろそろ日常を取り戻すべく復帰します。

すでに多くの方がこの震災を機にして日本という国や個人の変革についてはお記ししておいでのとおり。
私もそれについては異論なく。
ただ、この問題の難しいところは理想的なモデルが存在していないこと。
お題目として理解はしてもそう簡単なことではないし、これまでの成長モデルに乗ってきた社会全体がそう容易に乗り換えられるとも到底思えないところあり。

ただ、今回こそは何らかの形で「変わることが求められている」のは確か。
震災すら一種の外圧であり、外圧によって変容してきた日本がどちらへ進むのか。
考え悩む余裕はなく、即座に動かねばならないのでありましょう。

2011年3月8日火曜日

「寛容革命」という夢想、「建前」という幻想

このところ、自分の中のキーワードに「寛容」というものが浮かんでいた。

世間の事件やその報道を見ていろいろ思ったということも当然あるが、それ以上に自分の周囲で非寛容な態度を取りつづける人々の振る舞いを見ていたことが大きい。それが昨夜のこんなツイートになる。

http://twitter.com/assamtea/status/44321352127217664
「建前撲滅運動」と「寛容革命」は両立するものかどうか考える。

自分らがつらい思いをしてきたがゆえに、自分の下の世代もつらい思いをして当然だ、という高齢の方の思い込みは正直痛々しい限り。いわゆる「無理偏にゲンコツ」ともいうべきものから、この時代に何かが生まれるかどうかは疑わしい。何よりこの萎縮感のある国で、どうやると次の新しいものを創出してゆくのかを考えるのはつらいところもある。

社会全体がシュリンクする時代に、様々な規範が人々の手足を縛り付けてゆくことはできる限り避けたいものであるが、残念ながら変化しないことでの生き残りを賭ける層は、現状のルールが継続する前提で環境を固めたいということも多そうである。その時に、「寛容であること」をどう前面に押し出してゆくことができるのかをあれこれ夢想していたわけであり。

自分の常識的な視界から外れる動きや、理解しがたい異物同士の融合というものを不快に捉えるかそれをあるべきものとして受け止めるか、その違いは大きい。「寛容」というのも楽ではない、我慢比べの部分かもしれない。ただ、変わらないということでの我慢に比べると、「寛容」の辛抱は革新的でもある・・・そうか、だとすると「寛容革命」というくくりになるのかな、という次第。

そしてもう一つ、この話の前提には「寛容~」とともに、世に流布する「建前」の打破の運動が必要と感じている。 多くの出来事が建前化している現状では寛容ということですら形骸化しかねない。そこで建前という幻想を払拭するためにも、この二つが揃うことが望ましいなというのがとりあえずのまとめ。とはいえ思いつきゆえ全然まとまってないけれど。

と思っていたら、作家の高橋源一郎さんのこんなツイートが流れてきたので示しておく。例のカンニング事件に関わる内容。

http://twitter.com/takagengen/status/44441085296119808
「大学」25・「彼は、ほんとうに大学に入りたかったのだ、間違ったやり方ではあったけれど」。この社会が「寛容」を失おうとしているのなら、「大学」は「寛容」を失ってはならない。それは、「大学」が存在している重要な理由の一つではなかったろうか。
多分この項はつづく。

2011年3月6日日曜日

犬山を歩く・・・市民手作りの祭りと城下町の様子と

研究会などでご一緒してきた久世高裕犬山市議からお誘いがあり、犬山市内を歩いてきた。犬山は愛知県北部にある、犬山城で知られた拠点都市の一つ。岐阜側からみると各務原市と木曾川を挟んで双子都市のような位置関係にある、ものづくりも盛んな地域である。


犬山の「あったか鍋と地酒まつり」というのが今回の催し。
犬山駅を西に進み、本町交差点を南北に貫く道が今回の舞台。


久世事務所への議員インターンシップに参加している大学生。
これも経験、ご苦労さんです。



鶏ちゃん焼き、という鶏の味噌風味焼き。200円。
甘味ある炒め物、おいしゅうございました。




関係者が皆で持ち寄って出来ることを始めておいでの催し。
屋台も犬山での職人さんによる手作りと。
常設はひとつのみとのことだが、地域で催しが出来るよう他も準備されたと。
こういう仕掛けがあると、面白いことが出来るもの。


久世高裕犬山市議。
クールに見えて熱く、アクティブな議員さん。ある意味神出鬼没。



今日は通りのあちこちで様々な催しが。
個性的なカラオケの歌声が飛び出してくる一角。



犬山の街中には、古い街並みが多数残る。
これが残しているのか、諸般の事情で結果残ったのか見分けるのは難しい。
ただ、少なからぬ方が犬山の地域の貴重な資源を理解しているのは分かる。


以前は歩いていて少なかったカフェ系の店が幾つか増えていた。
その辺の空気に敏感なところがこの街にはあるのかも知れぬ。
ここの店は前からあったと思うけど(笑)。




途中で地元の方の紹介で犬山商工会議所の日比野会頭さんにご挨拶。
豪快と言ってしまうと単純だが、攻めの姿勢を感じさせる方。
犬山TMOの社長も兼務されているそうだが、街中にはTMOの積極展開。
何となくこの元気な勢いが想像できる出会いでもあった。



そして犬山は裏道がいい。
表側は随分観光地として整備されてきたが、裏の街にはまだまだ見るものがある。
突然に山車の小屋(といってもでかい)が出現したり石畳を楽しんだり。
時間があれば、裏側を徘徊するのもお勧めである。


名鉄犬山駅前まで戻ると犬山祭ののぼりが立っている。
今年の犬山祭は4月2、3日に開催予定。

上記には記さなかったが、いろいろな犬山の地元の方とご挨拶。その中では創意工夫しながら努力する人々とともに、残念ながら一部首を傾げざるをえないお話が出てきたのも事実。地域にはいろいろな立場や声があるのだろうし、その中で若い市議さんが苦労しているのだろうと推察させるものも感じられた。

ともあれ、面白いものものが積み重なる犬山である。いい地域経営に繋げて行って貰えるのだろうという期待を持たせる時間となった。

2011年3月5日土曜日

観察者としての立場

10年近く前、辞令を貰って岐阜に来てすぐの時だが仕事場でスタッフとの大喧嘩をした。

今でも良く覚えている。着任の日、研究分野がばらばらのスタッフの間で雑談をした中で君は何をしたいのかと聞かれ、「自分は岐阜の観察者でありたい」と話した所、その後上司となるロボット系の研究者に酷評され、猛烈なバトルとなった。ロボット系の人には「こいつは何もする気が無い」と理解されたらしく、それから数年は大きな誤解の中で、事実上の監視下に置かれ針のむしろの岐阜生活となった。

都市論やアートの領域を横断してきた自分の出自を考えると、発言自体は何も問題はないしその後十分に研究も仕事も出来たものと思っている。ただ、今となってみれば一部の人には癪に障る言葉だったのだろうと類推している。

地域に何が求められているのか、見て歩いて調べて聞いて考えるプロセスが当たり前として師匠らに叩き込まれていた身には、観察という行為が理解されないのは意外で、かつ身内から後ろから弾が飛んでくる状況には面食らった。

徐々に分かってきたことは、そういう訓練を受けた人というのは稀有なのだということであり。そのうちに役所や大学で偉い人がストーリーをつむぎ出し、それを地域に強引に当てはめてゆくのがスマートな産官学連携であるのだという周囲からのプレッシャーに悩まされるようになる。余計なものは見るな、可能性を狭めて考えろという指導を長いこと受けてきた人たちと話が合う訳もない。なかなかにつらい時間ではあった。

その中で、幾つかの活動を介して岐阜の地元の多様な人々に出会い、救われるようになり徐々に立場を作って現在に至るのだが、自分をめぐる状況は本質的には好転しているとは思っていない。ただ、地元の少なからぬ方が応援してくれているのが表にも見えるようになったので、上の方の人も訳は分からぬがよくやっているとして許容してもらっている程度のことと理解している。

なので、今でも無理無理企画を当てはめる類のお役人や学者とは意見が合わぬ。こちらも大分歳を重ねたので我慢強くはなったにせよ、元来の短気に加えて立場として意見を表出せねばいけない場も増えた。ちゃぶ台ひっくり返したいのを堪えて堪えて、理不尽さや怒りを説明してゆく作業の連続である。

ただ、着任初日に言い放った「観察者」という姿は依然として意固地になってでも保っている自分がいる。現在はプロジェクト企画にせよ、状況観察無しには進みようがないし、その方向でいいアウトプットが出つつある。

まちづくりやら産業振興やらイノベーションやらのご近所であれこれやってきたが、結局は基本のアプローチはそこから微動もしていない。そしておそらくこれからもそういうポジションで研究活動をしてゆくんだろうなという希望とも諦念ともつかぬものを抱え込んでいる。

そしてまた観察者の立場で街を歩きたいという猛烈な欲求に襲われている。この春からは、岐阜着任以前くらいのペースで外に出てゆければと思っている。そうですよ、うちの流派は外出て見に行ってなんぼ、街歩いてなんぼなんですから。

2011年3月1日火曜日

大学入試の試験監督というもの(その2・美大編)

昔の事だが、大学院を出て都内の美術大学の映像学科の助手に着任することになった。1月にその大学から連絡があり、人手が足りぬので、2月から助手予定者として試験監督と、時間が余ったら教務補助のグループで運営に加わってほしいとのこと。知らぬこともある学校ゆえ、研究室の方に都合を付けてそちらに向かうこととなった。

その美大には各学科・研究室に助手と教務補助員が配置されていた。教務補助は他大だと副手などともよばれ雑多な研究室の作業や事務などを行う、大学運営の最前線でもある。初年度は、試験の際は監督業務、手が空いたら教務補助の業務を行うというかなりの激務だった。

入学試験の準備の際には、普段だと使えるアルバイトの学生が使えない部分ばかりである。机やら椅子やらの配置であればいいが、入試に実技がある大学では入試出題の準備での機密保持も考えねばならず、そういう部分で教務補助さんの出番となるわけであり。まあこの辺りは大変面白い部分だが割愛する。

美大とは言え学科試験では早稲田とほぼ一緒。ただその時に、試験監督は美大の教授が行うわけで、ある意味珍道中でもある。こちらも致命的(?)なトラブルは無かったものと思っているしたとえ有っても書けぬ。ただ、これは記してもいいだろうが、美大って実技だけじゃなく筆記の試験がかなり出来る学生も結構受験しにきてるのだなということは分かったのは収穫であった。

そして美大入試のメインイベントは実技試験。

朝、控え室に試験監督の教授や助手が集まり、出題者の先生や試験担当の委員の先生から出題についての説明を受ける。美大の実技試験というのはデッサンや油絵もあるが、自分らで課題を設定して作成するようなものもあるし、持参の画材や道具を使う試験もある。なのでその事前説明をきちんと聞いておかねば運営にも差し支える。油絵日本画から資格伝達デザインや工業デザイン、映像や芸術文化まで学科の分野は様々でもある。

ところが、何十年も入試に関わっている大先生らは、助手を当てにする。「おー君が一緒か、だったら全部任せても大丈夫だな」と説明に聞く耳を持たずマイペースというのは当時では普通のこと。若造からすると、なんでこんな大御所のアーティストに分野外の試験監督任せるものかとも思ってしまうが、それが美大の入試なのだからしょうがない。大先生には適当にお座りいただいてこちらで全て段取りを整えて大先生には「開始!」と「終了!」の掛け声だけお願いするということにしてもらったり。

控え室での出題説明でもよく一悶着あった。説明する側の先生もアーティストである。出題意図や必要な作業を分かりやすく客観的に説明出来る人ばかりではない。すると、作業を試験会場で行うことになる監督の先生らから徐々にイライラの言葉が飛び出す。時には、壇上の先生と試験監督の先生とで口喧嘩めいてしまい控え室が殺伐としていったことも。

とにかく準備を終えて会場に向かうと、モチーフがある試験会場だと、受験生は会場前で鍵が開くのをさらに殺伐とした空気の中で待っている。 事前にバラバラにモチーフを見てしまうと不公平になるからだ。監督が鍵を開けると、部屋の中に皆がなだれ込み、場所決めの抽選である。モチーフをどこからどう見るかはくじ運次第になってくる。

ただそこでまた悲喜交々。自分の合った場所を陣取れればいいが不本意だと受験生はそろりそろりとイーゼルと椅子を動かし始めたり。僅かだと許容範囲だが大胆不敵に移動する学生もおり、そこを見張るのもすでに試験官のお仕事でもある。

試験開始してしまうと、油絵の制作などだと最長6時間。そして何よりカンニングの無い試験でもある。監督側としては開始してしまうとほっとできる・・・と持ったら大間違い。課題への解釈やら、個々の学生さんからの質問やらが結構出てくるのも実技試験。すると廊下に控える教務補助さんを伝令にひとつひとつ本部に確認をして、学生へ返答をすることになる。

美大の場合、何年も浪人してきた多浪生が結構な数受けに来ることがある。そういう受験生と現役の高校生とがひとつの会場で受験する様子は凄い風景である。セーラー服の女子学生がおどおどしつつ制作する横で、周囲を威圧しつつベテランの風合いのヒゲ面の多浪生が悠々とした様子で筆を動かすてのを見るのもいいものではある。 まあどっちも頑張れと。

そして・・・学生さんの処置も役割。音を立てて制作作業する受験生に別な学生が注意したら逆ギレされて試験会場で殴り合いが始まったり、具合が悪いと学生がトイレに行こうとして動けなくなり、教務補助さんが背負った途端に背中で吐かれたりとか、画材を全部忘れてきて売店まで慌てて画材買いに行ったりとか、 いろんな出来事がそこには起こりうる。ストーブが暑いとか換気してくれとかの対応まで、とにかく受験しにきた全ての学生が力を出しきってもらうようにするのが試験監督の仕事。

そして終了後、学生さんの作品を集めてから整理をして、審査のための環境づくりまでをして終了となる。作品をそのまま置いて貰うことも有れば、ある指示に従って並べ直して審査することもある。そこには非常に整然かつ厳正な仕組みが構築されており、美大のシステムってこうなって出来ているのか・・・としみじみ実感した瞬間でもある。

助手の場合は関与はここまで。審査や合格判定は当然ながら教授のお仕事。ただ、ああこうやって受験生が選ばれてゆくのだな・・・という現場を見ることが出来たのは非常にいい経験になっている。受験生や入学してきた学生は受験の技術などの話をよくするが、大学の側ではもう少し違う目で見ているなという印象は助手の時に感じていた。そして、美大の入試についてある先生の「いい学生は必ず合格しているはず」というご発言を記しておく。

私は4年間、計5回の入試業務に携わり契約満了で退任したのだが、上記は10年くらい前の美大でのこと。今もそう大きく変わってはいないだろう。そしてそこを通過してきた受験生が、学生として4月から大学に入ってくる。世間では大学についていろいろ言われてはいるが、結局は毎年この繰り返しである。変わらねばいけないこともあろうが、変わらないこともまた大学を支えている。

大学入試の試験監督というもの(その1)

世間では大学入試についていろいろ騒がしいらしい。非常にタイムリーな問題でもあるので今回の件での詳細は控えるが、その代わり自分がやった入試監督の経験を記しておく。

早稲田大学では学生にもアルバイトで入試監督の補助員の募集がある。今は知らぬ(岐阜駐在でもあり入試業務はない)が、多分同様であろう。何回もの入学試験に金を払ってきてやっと大学生になった者としては、入試業務というのは非常に魅力的な仕事でもある。

90年代頭のその当時は、まず大学事務所へ希望を出して申し込んだら、結果がコンピュータで抽選さて出されてハガキが郵送され結果を知る。当時だと早稲田は政経から人間科学まで9学部あったので最大9回バイトできる可能性があったが、まあ多くて3、4学部というのが普通であった。

朝、指定された時間に控え室に行くと、自分の仕事が割り当てられてゆく。学生だと用紙配布や廊下での誘導係などが振られるのが普通。教授らが受験会場一部屋の責任者で、その指示で答案配ったり会場準備したりするわけである。

時たま変わった役があって、私の頃にはまだ「鐘」担当がいた。試験開始と終了の時に、棒の先にメロン大の鐘がついたものを廊下を駆けながら鳴らすという大役である。ああいうのもやってみたいなぁと思いつつついぞ当たることは無かった。ある年にバイトさんがこの鐘を廊下で落っことしてひと騒動になったというのはまた別の話ではある。

意外にこの入試バイトは大変で、決められた時間までに問題と答案用紙を配り開始するてのは結構なプレッシャーだったりする。定形の作業とは言え、初めて会った先生とバイトさんとで一つの教室を仕切るのは緊張感に満ちている。早稲田の場合は試験時間が一科目60分、長くても90分なので何だかんだといううちに終了となる。逆に廊下での誘導係はまた寒い中じっと座っているだけというのも一種の苦行だが、何もしなくていい気楽さが廊下組の唯一のメリットでもあった。

さて、室内での監督をしていると、妙な動きをしている学生はすぐわかるもの。試験監督は前からだけでなく写真照合の作業もあるので横から見て歩くこともあり、きちんと見ている分には、受験生も手元でそうあれこれ出来るとはちと思えない。私が試験監督補助をしていた頃はまだ携帯電話はそれほど一般的ではなかったが、あの状況だと携帯があったにせよなかなか難しいだろう、きちんと監督された会場である限りは、だが。

試験終了し答案を集めたときに、一番気をつけるのが集め忘れなどないかの確認。ところが100名程度の会場だと、名前の書き忘れやら、受験番号の書き間違いなど結構出てくるので気が抜けない。答案を集めて受験生を室外に出してしまってから気づいてももう遅いので、ここが一番気を遣う部分かも知れない。

答案は控え室に持ち帰り確認を受けて完了。そして全科目が終了すると、アルバイト料の受け取り。当時は現金とっ払いであった。拘束時間にも比例するが安い学部で8000円くらいから、長い時間の学部で1万2000円くらいだった記憶。貧乏学生にはいいお仕事で、その金で帰り道に古本屋に寄って、などというのは今から考えるといい思い出ではある。

ということで大学院を出るまでこのバイトはやっていて随分と助かったのだが、本当に面白い入試監督の経験は助手として勤めた美大でのほうかも知れない。ということでこの続きはまた。

2011年2月28日月曜日

行きつけのお店、最近行ってますか?・・・経済的に「いいね!」を示す

今日の移動の途中、駅までの複数のお店で張り紙を発見した。揃いも揃って今月末で閉店するだの営業時間短縮するだのという内容。世間は厳しいなと思い知らされるそれらの張り紙である。

自宅の周りでも閉店するお店は確かにある。普段何気なく通っていて見ていたお店が、ある日突然閉店という次第。 特段興味もなければ「ああしょうがないな」で済むものの、ちょっと気になっていたならば「あー、これは勿体ないことをした」となる。

これが良く行く気に入ったお店だったら、また反応は変わってくるのかも知れぬ。少し買う量や歌謡回数を増やすから何とかならぬかとか店主さんに激励してみるとか・・・無論その程度で改善できる状況ならすでに対応しているのだろうが、何も言わぬよりはマシである。

放っておくと街から店が消える。この問題は重く受け止める必要がある。

自分らの身近に商店街があってある日スーパーマーケットが突然できて、郊外に大規模ショッピングセンターが出来てきた、という流れが全国にあったわけだが、徐々にそのすべてを維持するのが難しい状況が出てきている。

これまでであれば店が閉じても何らかの力が働いて新規出店が起こっていたものが、今はそこに次の店が開店するとは限らぬようになってきた。役所や経済団体が産業振興と称していろいろ支援をしてはいるものの、 大きな流れは変わらぬことだろう。

以前同様の内容で、身銭を切ってでも自分のいいと思う店できちんと金を使いましょうよ、ということを呟いたわけだが、今回もツイッターでこの件をツイートしてみた。すると、以下のような反応が返ってきた。

http://twitter.com/#!/nimben/status/41731889047941120
御意。通うことが経済的にも「いいね!」といったことになりますから。“@: 以前にも記したが、自分がいいなと思うカフェやラーメン屋や定食屋は、そう思うだけでなく積極的に利用するのがいい。そうしないと簡単に無くなってしまう状況が地方都市には訪れているわけで。”
・・・そうか、経済的「いいね!」かと膝を打つ。いい表現ではある。

我々も地域の商店や飲食店の趨勢についてはどうしても他人事のように見過ごしてしまうことがあるわけだが、そこでいいなと思ったらその店にソーシャルメディアの「いいね!」を提供するが如く通うというのも一つの手ではあるのだ。

誰かがそこで飯を食っているからその飯屋は維持されている。でもその誰かが自分なのだという意識があるかどうか。問題はその点なのかも知れない。カフェだろうが雑貨屋だろうが、八百屋だろうが全て根っこは一緒のことでもある。

人口減や都市のシュリンク、地域構造の変化などそれ以外の原因は多々ある。でも、本来的には好きな店は何度も使うことで維持できるようになる。一人の金額など知れたものではあるが、意識して経済的な「いいね!」ボタンを押すなり友人に勧めるなりするのだ。これも地域経済の「見える化」の一環なのかも知れない。

どうですか、行きつけのお店、最近行ってますか?

2011年2月27日日曜日

丸善のダックノートが入荷した

以前のブログで、愛用していた丸善のダックノートの品切れの件を記したが、金曜日に名古屋栄の丸善に寄ったところ、久しぶりに入荷していたのを確認。思わず小躍りしつつ2冊購入してみる。


ダックノート現物。
ある意味貴重なブツである。


ノートといいつつ、作りは本である。
開いた瞬間に感じられるこの仕事ぶりが嬉しい。


栞紐つき。


小口が茶に塗られているのも丸善のダックノートの特徴。
持つと、ずしりとした重みとキャンバス地の手触りが伝わる。


一冊2100円というのはなかなかのお値段だが、出来を見ると高くは無い。 


お仕事や研究のネタ帳として日頃は使う、実用的なノートでもある。

丸善のレジで、今後の入荷状況を店員に尋ねてみたが、「職人が体調を崩しているため、次の入荷は未定です」との情報。確かにこの商品の質やお値段から見ても職人が一冊一冊作っているのはよく分かる。頑張れ職人さん。

2011年2月26日土曜日

地方を司る、お役人のような人々

このところ、岐阜で地元自治体や経済団体での講演や会議が続いた。その中で、非常に良く考えられたと見える企画や意見、提案に接することがある。 ◯◯大学の指導を受けた、△△シンクタンクの助言を受け、云々。企業の方がお話になるにしても、体裁は非常によくできている。

ただ、正直それが出来がいいものとは限らない。少々眉をひそめるような内容のものに遭遇することもある。非常に視野が狭い内容であったり、本当に対象となる人々のためになるとは余り思えなかったり。

そういう場にある程度共通しているのが、非常に優秀な、会議なり企画なりをうまくまとめるのが目的のようにおいでの方々の存在でもある。仕事を進める上では組織の中堅幹部としては充分使い甲斐もあるのだろうが、悪い言い方をすれば、新たなところに踏み込まない言い訳をつくるのが大変お上手であったり、あらかじめ描いてある自分のストーリーに状況をはめ込むのが上手かったり・・・こういう方々は、場を混乱させる提案を嫌うものでもある。

そういうところを見ていると、ある意味でのお役人的仕事ぶりには感服してしまうのだ。地方では、役所に限らずそこそこの規模の民間企業の現場でこういう人はデキる人として扱われているはずである。人材の確保に苦労する中では各社、各自治体でも貴重な存在であり、その点で私には無いそつのなさはある意味で羨ましいくらいでもある。

ただ、地方を司る、こういう人々が地域が変わるのを妨げているなと感じるのも事実。議会はあらかじめ台本が出来ている、ディスカッションは嵐が去るのを待つが如くに理論武装をして参加する・・・これでは何か新しいことを始めようとしても動き出すことはない。結果的に、意識すること無く、混乱させない、変えないという方向に地域を引っ張って行ってしまうのがこういう優秀に見える一部の人々の存在なのかもしれない。

自分の特性としては、元来人にとにかく喋らせることに意義があると考えてここまで動いてきている。関係者の話を皆で聞きながら参加者には考えてもらいたいものなのだが、答えが最初からあって参加してるんなら、会議に出てくる必要は無いよね、と感じつつ。

その点で、私はお役人的アプローチの方よりは、素朴ではあるけれど経営者の理念がストレートに出てくるほうを好む。大学の先生の意見の鎧は無いけれど、自分の思う地域像だったり、女性社員だったり、子供問題だったり、そういう所に自身の考えで言葉を並べてくれるのは聞いていてもこちらも身を乗り出すように聞けるし、その具体化には知恵をめぐらせたいと思うもの。 会議・会合が多少荒れるのは面白いものなのだ。

あちこちの自治体や地域で、ここ最近いろいろな混乱状況が起きているが、こういうことを考えると、予定調和の世界から脱し、場を少々引っ掻き回して地域にそこそこの混乱を引き起こすてのは社会に必要なのだろうとも達観したりもしている。

・・・これを感じたのは、就職を考える学生さんらとの話の中でのことなのだが、学生さんがちょっとナイーブだなと思ったというのはまた別の機会に。

(上ではお役人という表現をややネガティブな意味で使っているが、勿論アクティブで一緒に仕事していてエキサイティングな役所の方もおいでではあることは記しておく。)

2011年2月20日日曜日

柳ヶ瀬を歩く・・・柳ぶら楽市から路面電車まで

柳ヶ瀬第二弾。少々定点観測的でもあるけれど。


報道で「ドン・キホーテ」の岐阜市中心部への出店とのニュースがあり。
かつて路面電車の合流点であった徹明町交差点にある旧メルサのビル。
名鉄資本だったが、一昨年夏に経営不振で閉店。
その後空き家だったところにドンキホーテが入居ということのよう。
いろいろこれからが大変だろうに、というのが正直な意見。
通ると入居の準備工事が始まっていた。




柳ヶ瀬の本通りにて、美殿町商店街の鷲見さんと遭遇。
地元まとめ役で、岐阜のまちづくり界で知らぬ人はいない有名人。
またいろいろお考えのようで、しばし立ち話。


この日は月に二回、第一第三土曜日の「柳ぶら楽市」の日。
柳ヶ瀬本通りにいろいろな露店が出る。
正直大きな催しということではないけれど、これ目当てで少しは賑わいが戻る。


お好きな人には奥の「やなな」の大フラッグはたまらないのかも知れません(笑)。




柳ぶら楽市で端的に客が増えるかといえば正直怪しい。
しかし、「行けば何かある」を創出することは間違ってはいない。
本当は柳ヶ瀬は幾つか荒療治をせねば行けないのだろう。
が、今の柳ヶ瀬ではよくやっているという評価をせざるをえない。


高島屋前でも出店。
トラック市といいこの露店の連続といい、以前の柳ヶ瀬とは変わってきているのも確か。


徹明通りを渡って南下すると金(こがね)公園。
そこにかつて岐阜を走っていた路面電車の車体が静態保存されている。
名鉄500系という、大正生まれの木造の車体でもある。
通称は「丸窓電車」とも。


2005年に岐阜の路面電車が廃止になるときに保存運動を起こした結果の一台。
岐阜高専の廣瀬康之先生が中心になった運動に、私もお手伝いをした。
順調なことばかりではなかったのだが、何とか残すことが出来た。


名鉄ではなく、前身の美濃電気軌道が購入した、岐阜の電車。
合併された名鉄がある意味勝手に路線を廃止したわけであり。
ならばせめて一台くらい岐阜に残しましょうよ、というストーリーを助言。
周辺で子供たちが遊ぶ場になっているが、まあよし。
「あれは何だろう」といつか思ってくれればそれでいい。