2011年1月31日月曜日

市役所や図書館で、電源と無線LANの提供を!

ツイッターのやりとりにて、公共施設での無線LAN提供の話題が出てきた。

http://twitter.com/kuze_takahiro/status/31705598416392192
「これからの時代はそれが常識」と議会側から強く要望しました。 RT @: 犬山市役所は市役所内が無料の公衆無線LANを配備してますが、理由があるのでしょうか?市民が市役所に足を運んでほしいということなのでしょうか?東海地方では、郡上市役所ともう1、2…
犬山は中部地方の中ではこういうことには先進的な、大変恵まれた地域である。
岐阜県内では郡上市が同様の活動を進めている。
「郡上市フリースポット」

しかし岐阜市内では商工会議所にフリースポットがある程度。
役所で率先して無線LANの提供をしている話は余り聞かず。
各務原や大垣でも同様である。
県有施設でも一部公衆無線LANが入っている程度。
果たして市役所の設備として無線LANは必要なものなのかどうか。
自治体サービスとして提供するものかどうかというところなのだろう。

そしてもう一つ大事なこと。
電源の問題がある。
昨年来、佐々木俊尚氏の著作「仕事するのにオフィスはいらない」で扱われたノマドワーカーで話題になったように、オフィスにとらわれず自由なスタイルと場所で仕事をする人々が脚光を浴びるようになった。



PCでネット接続すれば場所はどこで働こうがいいわけである。
では、そういう人々は街中でどこに行くのか。
実際にはノマドワーカーというより実際には「電源難民」の様相が強い。
バッテリー切れ寸前のノートPC抱え、どこかで電源を確保したいと思っても地方都市ではなかなかコンセント一つ借りるのも難しかったりする。
ファーストフード店に入ったところで、電源を貸してくれるという保証もない。
日々日本のどこかに電源を、無線LANを探し求めて歩く人々が多数いるのだ。

世に「電源カフェ」なるサイトがある。
そのサイトには日々全国の電源を貸してくれるカフェの情報が集まってくる。
今は電源、そして無線LANがどこにあるかを同類の人々が情報共有しつつ何とかノマドワーカーは活動しているのでもある。

その人々を、どう地域につなぎとめるか。 そしてそのノマドワーカーの拠点を地域が提供することが出来たならどうか。
無料とは言わぬ。
小額であればコストも払ってもいいというであろう。
市役所のホールの片隅や、図書館のエントランスに僅かなスペースでもいいので電源と無線LANを提供してもらうことは出来ぬものかと考える。

繰り返すが、犬山のような事例は現状では恵まれているといえる。
一般的な地方都市では,この実現にはノマドワーカー自体が声を上げねばいけないだろうし、何よりそういうものが地域の機能として必要なのだと市民に理解してもらう必要がある。
仕事の仕方が変わっていることは上記の佐々木さんの本を読んでもらうにして、そのための環境整備がノマドワーカーを呼び込む仕掛けにもなるのだ。

勿論、いろいろな反発もあるだろう。
ここは勝手に電源を使うと「電源泥棒」として警察のご厄介になる国である。
役所が無線LAN提供して、中学生がエッチなサイトでも見てたらどうするのかという心配の向きもおいでだろう。
そういうことをひとつひとつ挙げて、だから提供は止めましょうというのが一番楽。
いやそうではなく、どうやって新たな能力ある人々を繋ぎ止めるのかを考えてゆきませんかというのがこの趣旨であり。
何かを考えている市役所であれば、取り組んでみてもいい仕掛けだろう。
役所でトイレを借りるがごとく、電源や無線LANにアクセスできるようになると、役所の姿も変わってゆくと思うのだが。

2011年1月29日土曜日

多治見のカフェに寄り、街中を歩く

28日、多治見「き」業展参加のため多治見市へ。
岐阜県では東濃と呼ばれる地方で、陶磁器の生産で有名。
セラミックパークMINOという、少々駅からは遠い会場。
磯崎新設計の複合施設だが立地以外はすぐれもの。
市や商工会議所の関係者などによるテープカット。
東濃というのは企業や公的機関の関係が岐阜市のまわりとは少々違っていて面白い。
右端にいる怪しい着ぐるみは、多治見市のゆるきゃら「うながっぱ」。

会場ではいろんな企業の展示が。
東濃のいいところは、多治見とか土岐とか瑞浪という地域エゴが大きくない所。
あまり自治体の枠を意識せずに周辺からも出展があるのはいい。

 

地元の高校の出展があり、高校生も会場に多数。
こういう産業振興の催しであっても、若い人の姿が会場にあるのはいいことだと思う。
産業振興と教育を区分けているのは大人の先入観でしかない。


このセラミックパークMINOもご多分に漏れず存廃の議論がある。
多極分散型という県の事情もあるのだが、県庁だけが悪かったとは言い切れまい。
県の粗相は県民の責任も大きいということはどこかに忘れ去られているようでもある。
これは中にある売店で、結構なお値段がする陶磁器やグッズを購入できる。
てこ入れが必要なのは明らかではあるが・・・。


会場でお会いしたTMOの方と立ち話。
その中で多治見の商店街にカフェを開いているということで、視察終了後にそちらへ移動。
多治見の街中も歩いていて気分のいいところがある。
ここも古い街である。
歩いて見るといろいろなものが見えてくる。以下なかせ商店街の様子を数枚。




紹介されたカフェに到着、「カフェ温土」。
空き店舗の開発という目的があるらしく、周囲でも数店のショップなどを展開。
ランチ時だったので鶏つくねのハンバーグをいただいてみるが大変美味。
客の入りもまずまずで、うまく回っていることを感じさせる。
TMOの事業というのはお題目優先でうまくいっていないところも結構ある。
その中で、地に足のついた事業をやっているのだろうと見える。




一部には、地域振興で安易にカフェを開いたりすることを戒める声もあると聞く。
私はその意見には真っ向から反論したい。
街中で多様な人々が集える場所を作ることは大切なこと。
カフェの採算が合うのであれば、さらにこういう場所を設けてゆく必要があるだろう。
世は、今各地で盛りの議論や政策作りに参加できる人々ばかりでもない。
まずは足を運んでもらえること、街に出てきてもらえることが必要なのだが。

残りの商店街も歩いてみる。
確かに古い建物が多いし閉まっているもの多数。
でもこれが私には潜在的な可能性にも見える。
ああいうTMOの活動はもっと応援してゆくと、面白いことができるだろう。



2011年1月24日月曜日

ノートをいただくということ

文房具マニアである。
高校生の頃から自分で購入するまででなくとも、新しく発売になった商品は一通り手に取ってみる。
札幌時代は大丸藤井セントラル、東京では伊東屋へ、用がなくとも近くを通れば寄ったもので。
紙の魅力というのはあって、見本帖やら変わった紙やらがあるといじくり回してみた。
ペンも好きで、水性ペンを多用していたこともあって色々試しながら現在に至っている。
ただ勿論学生のお遊びで、せいぜい数百円のものを購入する程度。
授業のノートに使うのであればそんなものであり。

ところが画家である我が師匠と行動するようになり、事情が変わる。
師匠もまた文具の人であり仕事柄画材の人である。
それまでは時々行く程度だった、まだ健在だった古い日本橋丸善に頻繁に出入りするようになる。
大人の趣味の一つに万年筆があるのだなと知るのもその頃のこと。
数万数十万の筆記具を購入するわけにはいかぬが、手元にあるパイロットの万年筆を放置していたものを使い始めることとした。
水性ボールペンとの違いは比べるべくもなく。
何より量を書いても疲れないのだと知る。

そして、万年筆を使い始めたと知った師匠がノートをわけてくれるようになる。
丸善の「ダックノート」である。
方眼入りや無地など、サイズも多数だが、外装が帆布でカバーと一体化している。
木口が茶色で塗られており、 一目見てああ丸善のあれだなと分かる強さのあるノート。
そりゃあいただいて嬉しいに決まっている。
外に出てメモする機会の多い研究ゆえ、方々で重宝してきた。

ただこれの値段が少々どころかかなり高い。
一冊2000円以上のノートを使う人がいるのかと驚くとともに、師匠に感謝したものであり。
万年筆のインクの乗りのいい、重量感と手への馴染みのよさはお値段通り。
就職後には、自分へのご褒美というときにはこのノートを時々購入してきた。

逆に考えると、この程度のご褒美で幸せな気分になれる自分てのが安上がりでもあるのだろう。
ファッションにあまり関心がなかったゆえに、高級なブランド物やらには縁遠い。
伊東屋の店頭ひやかすのが楽しみだった者としては、このノートが嬉しい。
自分もいつかはあの高級万年筆に手を出すことがあるのかとも思うが、残念ながら相変わらず零細研究者の域を出ることはない。
そして今でも時々、師匠からノートをいただく。
これは、さらに良く勉強せいよというかなり強力なメッセージでもあることは百も承知なのだが、そのことはあまり過度には考えずに有難くノートを受けとるのみである。

キャリアアップとともに文房具もいいものにしてゆくとともに、実用的にも効果がある。
これを自分への投資というのだろう、と勝手に思い込ませている。
今の自分の位置は頑張って2000円のノートということ。
そしてたまに無印良品の一冊200円のノートに浮気しているが。
自分の立ち位置からちょっと無理していいものを買う気分をこのダックノートで経験している。
ちなみに丸善のダックノート、不具合があったとのことで現在は暫く欠品となっている。
正月明けにも名古屋栄の丸善へ行ったが申し訳なさそうに店員が話していた。

ツイッターでやりとりしていて、こんなことを思い出したので記した次第。

2011年1月21日金曜日

ほぼ素人によるubuntu導入についての使い具合(効果には個人差があります)

年明けの暇な時期に、自宅のポンコツデスクトップPCのOSをWinXPからubuntuにした。
ubuntuはご存知Linuxのラインナップで、まあ素人も使い易いUnix系OSということのよう。

・・・よう、というのは私にとってはUnixはほぼ素人も同然。
大学院に上がる頃から必要に迫られてユーザーとしては関わっていたものの、なんちゃって理系としては正直逃げ回って最低限のコマンドを打ち込む程度だった部類。
FreeBSDなどが流行る際にも横目で眺めつつWIndowsを使い続けてきた。
修士論文を書くときにMacの不具合に苦しめられる中で研究室で唯一Win95を使った者としては当然の流れとも言えるのだが。

ただ昨年あたりから再度Unix系OSのブームらしきものが起こってきたのかなと。
週刊アスキーがubuntu特集を組んだのも大きかった。
これなら何とかできるかな、と思わせるだけの内容。
そして経費節減というところもある。
OS購入してオフィスソフト入れて、というところへの僅かな疑問。
実は数年前にためしにフリーのオフィスソフトであるOpenOfficeをWinXPに入れて試してみたが、互換性についての問題が見えてきたため放置してそのままになっていた。
ubuntuは標準でOpenOfficeが入っているため解決にもなるかなと考えたところもある。

さて、BIOSを切り替え以前ダウンロードしてあったOSをCD-Rに焼いてあったのでそれを読み込ませる。
何事も無く起動画面が立ち上がりインストール。
あっけないほど簡単であった(OSをネットから落としてCD-Rに焼く作業はちと面倒だったのだが)。
立ち上がり、そしてシャットダウンのそれぞれがまずは超速。
ご老体ノートPCの亀の歩みとは比較にならぬ快適さ。
これだけでも入れ替えた甲斐があったというもの。

ネット接続で、自宅のADSLを試してみる。
フレッツ用(うちはNTT西日本のADSLである)のアプリに入力するのと同じ程度の手間で接続。
が、最初の設定だと何故か繋がらぬサイトがある・・・傍目にはその繋がる繋がらぬの法則性が分からず悩む。
ここでノートPCでちまちまと検索しながら進むことに。
どうもubuntuでは、MTUの設定がデフォルトだと値が大きすぎるらしい(この辺り分からぬ方は飛ばしてくださいw)。
てことで、コンソール開いて久々のコマンド入力で恐る恐る数値を変えてみる。

$ sudo ifconfig ppp0 mtu 1450

・・・繋がった。
というところにたどり着くまで1時間半。
恒常的に数値を変えられるらしいが、何故かネット上の指示通りしてもシャットダウンすると戻る。
なのでネットに繋ぐたび上記を打ち込んでおりこれを乗り越えるのが課題というお恥ずかしい状況。
まあ繋がるようになったのでとりあえずはいいんだけども。

日頃使ってきたDropboxはアプリとして追加出来、Evernoteはデフォルトでインストール済みのFireFoxのアドオンとして追加。
追加の方法が当然だがWinとは異なって右往左往はするが、慣れてしまえば問題なく。
何より、Winでは高速マシンを使っても動きが鈍かったEvernoteがきびきび動き始めたのは驚いた。
ubuntuの魅力はOSの軽さとはよく聞いたがこういうことかと腑に落ちる。
OpenOfficeも、Dropbox経由でワードの既存ファイルを開いてみるが、さほど問題なく。
最近はテキストベースでのやりとりが自分の作業では増えてきたので、どうしてもマイクロソフトのワードで開かねばならぬという場合は本当のフィニッシュ原稿だけとなり。
Powerpointだけは前評判で結構厳しいとも聞いていたのだが、ノートPCはパワポは生かしているので、講演やプレゼン、学校の授業でもそちらを活用しつつと作業を分ければ良いのだろう。

FireFoxでのネット閲覧も快適。
速度も早いし、これまでの画面とも遜色なく。
pdfを開くのも速い速い(これはFFとは関係ないんだろうが)。
ただまだ一部のネットラジオなどのストリーミングでは音が出なかったりするが、これも情報を集めれば対処は可能のようであり。
電器屋に並ぶ商品ではなくフリーのOSのこと、この程度は自分で何とかせねばいけないのだろう。

考えてみると、クラウド時代になるとOSへ依存するというよりもそれらを乗り越えたサービスが流行るわけだからubuntuだろうがWinだろうが、あまり関係は無いというところもある。
ブラウザが使えDropboxとEvernoteが動きOpenOfficeが使えれば日常はなんとかなるわけで。
最近は映像関係の仕事もしなくなっているが、もし来たら来たで別に編集用のいいPCを準備すればいいだけのことでもある。
必要でないところに高スペックのマシンを抱え込んでもしょうがない。

まとめてみると、ちょっとPCに詳しい程度の人であれば、ubuntuは導入可能。
分からないことがあればネットで調べる。
そのくらいで無問題。
大学などでubuntuの一斉導入を始めているところがあるのも分かる気がした。
これまでのWin程度のサービスが必要という人は素直にWinを使い続ければいい。

自由度が増したという点での楽しさが訪れたというのがubuntu導入での私の感想。
クラウドさまさまである。

2011年1月17日月曜日

「北海道」の仕分け方を考える

今日のツイッターにて、以下のツイートが流れてきた。
http://twitter.com/#!/SetsunaSakune/status/26904147836018688
北海道は拓銀を潰され、経済が悪化して、除雪費削られて、TPPとか始まったらもうダメかもしれない。むしろ中央から見れば北海道はいらない子なのかもしれないとか思ったりする。
こう悲観的な意見が出るのも道産子としては分からなくはない。
炭鉱や遠洋漁業や農業が軒並み駄目になってきた中で、あの拓銀お取り潰しのダメージは北海道には大きすぎるペナルティであった。
中央から見たいまの北海道は、たしかに「いらない子」だろう。

そのなかでひとつ気になるのは、ではこの構図をどう北海道は打破しようとするかが全く見えてこないことであり。
「中央から見た北海道」の位置づけを脱却するというのは、中央対地方という関係に慣らされてきた日本全国の地方に共通する課題でもある。

例えば北海道独立論というのは北海道の大学の先生が以前から唱えているし、そこまで過激でなくとも北海道の人口規模や面積はヨーロッパに持って行くと一つの国と同程度であることは多くの識者は指摘している。
ただ残念ながら北方圏なる概念で北欧や北米との連携はしつつも、 その辺りに踏み込んだ話はあまり聞いたことがない。
経済圏として北海道に何が出来るかということは、実際に独立を模索するというのとは全くの別次元で、思考のトレーニングとして考えておくのは悪くない。

確かに北炭(三井)や三菱や住友や、それ以外でも日魯漁業や王子製紙その他いろんな企業が北海道で明治以来産業を興すも、停滞とともに多くの事業が閉鎖され企業が撤退して行った。
でも、少し調べるとその産業や生活のために、多大なインフラ整備が行われたのもまた確かであり。
石狩平野がなぜ今のように農業ができるようになったか、函館や釧路を筆頭に北海道内の都市圏のインフラ整備はどういう経緯で進められて行ったかなど見ると、北海道ではいろいろな可能性ある機会が長い期間掛けて準備されたことも分かる。
(勿論夕張の事例ひとつ見ても、そう単純に綺麗事ばかりでもないのだが。)

これらの環境を北海道、そして道民が万全の体制で使いこなしてきたか。
そこは非常にあやしい、と私は見ている。
多くの地域資源を的確に活用してこなかった結果が今の状況でもあり。
一部のベンチャーさんが奮闘しているのは知っているしぜひ頑張ってほしいが、今のままではまだまだ厳しいのも確かではある。
「東京からみた北海道」の構図に陥っているのは何より北海道庁と道民そのもの。
東京ルールで北海道を治めようとする必要はそもそもあるのかどうか。
そして東京ルールで処置できない状況に陥ったならば、どうするかを考えているのかどうか。

仕分けをするなら北海道と道民に仕分けさせるのがいい。
仕分けられているという受身感こそが現状の課題。
そしてその辛さをこらえつつ、 どうやって自分らがプレイヤーからディーラーに成れるのかをそろそろ真剣に考える。
そしてその様子が津軽海峡を越えた側から見えなければ、状況は変わらない。
もう少しでいいので、ずる賢さを身につける必要はありそうなものだが。

でもまだ大丈夫、かなり遅いのは事実だけれど、ここから始めればいいのだから。
始められれば、の話ではあるけれど。

2011年1月16日日曜日

近所の児童養護施設の思い出・・・「カリホルニアに行きたい」

小学生の頃、児童養護施設の近所に住んでいた。
その施設を私らは「学園」と呼んでいたが、地元での生活の中に普通にそういう施設で暮らす子がいるという数年間を過ごした。
集団登校ではその養護施設の子らと一緒に学校に行ったり、また同級生の子もいたりしたのでよく学園には出入りをしていたものだった。

そんな中、同級生の男は今思えば非常にクールな奴で、学園の中で遊びつついろいろなことを教えてくれた。
学園の前には野球のグランド一つ分くらいの公園があって、とにかく遊ばせる、というかランニングや体操をさせて徹底的に体を動かすのが学園の教育方針だった。
そんなに運動神経の良くなかった私としては「大変だな」と言うと、「小さい子が夜に眠れなくなるといけないから走らせるんだよ」と事も無げにぽつりと言った。
クリスマスが近い時期には、こちらから聞くわけでもなかったのだが(子供でもその程度のことは分かる)、奴の方から「ケーキは結構学園に届くんだよな・・・」と、感謝はしつつもちょっと皮肉な表情をしながら笑うのだった。

お世辞にも綺麗な施設とは言えなかったが、その数年間で体育館が出来たり急に設備が良くなったりというのは子供の目にもよく分かった。
絵本やら参考書やら、というものもうちにあったものと遜色もなくむしろ住んでいる子が多いだけに充実していたところもあり。
70年代後半という時代の余裕もあったのだろう。
片や、北海道は二百海里問題やエネルギー構造の転換などで経済的には斜陽。

地域全体として見れば、現在につづく貧しい部分もまだ随分とあった。
その辺の諸々のギャップについて、奴は分かっていたのだろう。

ある朝、新しく施設に来た女の子がいた。
今であれば知的障害と言うわけだが、当時は知恵おくれと呼ばれる子であった。
同学年ということもあり暫く私が集団登校から世話係にもなったのだが、考えると得がたい経験をしたのだなと思う。
今から見れば、かなり複雑な問題がその子の背景にあったであろうことは理解できるのだが。

学園の先生は親代わりで、生徒を親身に扱っていた。
その中で、猛烈に先生に怒られている子を見ることも時々あった。
普段挨拶する程度の数年上の女子が正座させられ叱られる場に出会ったこともあり、奴に尋ねるも珍しく口ごもる。
「寝小便とか・・・その他にもいろいろあってさ」とだけ教えてくれた。
身近に暮らしてはいても、施設の中は部外者が分からぬこと踏み込めぬことが多いというのも分かった。
学園にいる子は基本的にはみな普通の子。
ただ自分の想像を越えるところでの我慢や配慮を多々しながら暮らしてきたところがあるのだとはこういう出来事から知ることとなった。

中学を卒業し、私は札幌の高校に行くため地元を離れることとなった。
卒業式を終えてアルバムなどパラパラ見ているとその学園にいた、奴の将来の夢のコメント。
「カリホルニアへ行きたい」
奇抜な表記で友人間では話題になったが、私にはみぞおちを掴まれるかのような痛みが走った。
その後、カリホルニアへは行けたのだろうか。
あれだけ冷静だった奴のことだ、カリホルニアかどうかは分からぬがおそらく元気でやっていることだろう。

タイガーマスク運動なるものが広がっていったことで、昔の話を思い出した。
正直最近の状況はよく分からない。
近所の児童養護施設の思い出ではあるが、ただ自分にいろんな影響はあったのだろうと理解している。

2011年1月15日土曜日

メンテナンスという鉱脈

金曜日に名古屋にある日本プラントメンテナンス協会の中部支部にて会議へ参加。
研究要素もあり詳細は避けるが、まあロボット技術をメンテナンス分野に活用してゆこうという企画。
経産省本省の人を中心に地方経産局や連携組織、そして私のように大学関係者。
そして金融機関の人も入った、いわゆる「産官学金」という体制。
自治体関係者が結果的に入っていないのはご愛嬌。

ツイッターなどでも折々で記しているが、ロボット技術活用による地域産業振興は全国的に低調。
その中でこの人々は現状に危機感を持ち動いてきたわけで、ある意味同士。
その対応の仕組みづくりについてプラントメンテナンス協会の中の人らにご賛同いただき連携となった次第。
言うまでもなく様々な製造業分野が低調で長期的には市場縮小が囁かれる中、実はメンテナンス分野は多様な可能性を秘めてもいる。
ロボット技術で飯を食うのなら、メンテナンス分野への参入を検討してはどうかというのが主眼でもあった。
この活動自体はもう3年近く続けており、経産省や幾つかの業界団体との調整を行って一部では以下のように具体的な動きも始まっている。
「知能技術、石油プラントの触媒の抜き出し作業に向け防爆ロボの開発に着手」(ロボナブル)

そうとは言え、勿論解決すべき幾つかの問題があるのだが、そうハードルは高いわけではない。
むしろ技術面よりも、ニューカマーとして前例や因習にとらわれないことこそが大切でもあり。
ここは、専門家のいない新しいフロンティアである。
メンテナンスという鉱脈を前に日本のエンジニア、そして企業が頭を切り替えて対応に走れるかどうかこそが大切な事。
公益性をもった社団法人がその核になるというのも、実は面白い話であり。
産業振興ってのはソーシャルな仕組みづくりのひとつ。

2011年1月13日木曜日

WBSの街歩き特集を見て

12日のワールドビジネスサテライトで街歩きが特集に。
街歩きの研究や開発をしている一人として、WBSがどう扱うものか楽しみにしていた。

番組ではまず阪急交通社が販売している東京の下町のまち歩きツアーについて紹介。
阪急交通社「時遊人」
現地集合現地解散で、最少催行人数が5名からとなりバスツアーよりも低コストで薄利多売を狙うと。
映像で出ていたのは浅草や合羽橋商店街といった、ある意味定番の下町ツアー。
次に、八戸観光コンベンション協会がまちなか観光の一環で街歩きを導入した事例。
文学者の資料館や街並みをめぐるルートだが開始直後で試行錯誤の感。

番組全体としては街歩きを新しい観光のひとつとして紹介していた。
街歩きを研究の一環で見ているものとしては、産業に関わるという意味でももっといろんな可能性があるだけにちと残念だったなというところ。
勿論久々の街ものブームでもありその点では有り難い限りでもあるのだが・・・。

番組では街歩き本なども紹介していたが、幾つかの指摘が新鮮だった。
我々が常識と思っていることもまだまだ一般の人々には新しいものとして受け止められているのだなと再認識した次第。
学習型の観光がもてはやされるのも分かる気がする。

番組の中では、八戸での試行錯誤の様子が印象的。
情報紹介から、ツアーを売る方向への変化として扱われており、協会が実際に旅行代理店の資格をとったという。
案内に右往左往する職員さんの様子を見ていると他人とは思えない様子もあり。
拝見していて、もうちょっと助言してあげるともっとうまくいくのになぁとも多々感じる。
街歩きのルート設定というのは参加者の方が思うよりもかなり難易度は高い。
あの辺りは我々でお手伝いができるのかな・・・とも思うところ。
八戸に限らず、地方都市というのは街歩きは結構合っている。
学会や我々の授業でのワークショップのスキルを、必要なところにはうまく使ってもらえるようになるといいのだが。

今年は建築学会の方でも「東京ウォッチング」関係の活動を拡充してゆく予定。
まだ固まってないので詳細は記さぬが、これまでの活動をまとめて紹介する場を持ちたく思っている。
そして、お声掛けいただければ地方にもどんどん出向いて街を歩く魅力と価値の話はしてゆきたい。
街は歩いても歩いても、決して使い減るわけではない。

2011年1月12日水曜日

エスカレーターはどう乗るのがいいか

ツイッター上で、エスカレーターの乗り方について複数の方とやりとりする機会があった。
その中で、「歩いて登れるエスカレーターがいい」という意見が出てきた。
片側に行列する習慣があるのならもう片側を安全に歩いて上がれるのがいいということらしい。
私としてはこれまでの知識の中でエスカレーターを歩いて登るのは危ないだろうということでツイートしたが、なかなか噛み合わず話題を終了させることに。
登ってくる人とぶつかったり、バランスを崩す人が出てくるといくら自分が配慮したり気をつけてもどうしようもないなというのは感じていたのだが。

ともあれ、改めて調べてみた。

エスカレーター - Wikipedia

・・・やはり「日本国内におけるエスカレーターの安全基準は、ステップ上に立ち止まって利用することを前提とされている」とある。
そして輸送効率の低下や部品の摩耗など、片側だけに列を作って乗ると不都合なことは多いらしい。

あと大切な事を忘れていたが、エスカレーターは手すりにつかまるのがデフォルトである。
歩いて登って行こうとする人は手すりをつかむわけにはいかないわけで。

大学院の時の建築計画や防災の授業で、群衆が流動する場というものの怖さを教わっていた。
さらに、国内でも早くから名古屋の地下鉄が歩行禁止の呼びかけをしていたことも知っていた。
おそらく、事業者は事故自体とその後の補償や訴訟リスクを恐れて周知している部分はあるのだろう。
過去の事例で将棋倒しで何十人もが無くなったりするというのを見ると、非常口や階段、エスカレーターの設計てのは重要なのだとも再認識するものであり。
戦後の事件事故録など見ると歌謡ショーで将棋倒し事故などというのは頻発している。
現代であっても、多数の人々がいるエスカレーターや階段で転落事故が起こったりしたらかなり恐ろしい。

これまでの多くの事故や犠牲から学んで、現在の学問としての建築計画やエスカレーターの規格にいろいろなものが生かされている。
そして今の社会がすでに多くの配慮や安全設計が織り込まれているのと、混み合ってきたときには的確なタイミングでの管理がなされている。
現代であまり大規模な事故が起きていないのはこれらの理由もあるのだろう。
立ち止まって乗るようにとの指示もよく理解できるところあるのだ。


片側空けの問題も、ピーク時の客数が続かなければ勿論輸送量は少ないわけで、あれは習慣というよりも結果的に一段に複数の人が乗らなくてもいいがゆえの産物と推測する。
まあ片側空けについては話題がずれるのでこれ以上は触れぬ。
ともあれエスカレーターで輸送量と安全性の両方を確保するには、歩いて登らず普通に乗るのがいちばんなのだろう。

2011年1月9日日曜日

岐阜の電源カフェ情報

都市ノマドスタイルに必須の電源カフェ。
岐阜とおまけで東京での私の生活範囲内のものを列挙。
電源が「ある」だけでなく「ない」情報もここに随時追加して羅列の予定。
電源カフェに関する新情報や修正情報あればお知らせください。
電源はないけどいいカフェも募集中。

【JR岐阜駅近く】
ドトール(駅構内1F) ◯
禁煙席と喫煙席にそれぞれコンセント一箇所ずつあり、店員さんも使用に優しい。

エクセルシオールカフェ(駅構内M2F) △
喫煙席一番奥と、禁煙席の柱部の壁側に使って良いコンセントあり。
ただここは改札に近いせいか、朝晩以外は常に先客多し。
あまり使えたためしがない・・・。

・カフェ・ド・クリエ(アクティブG3F) ×
店員に聞くも「そういうものは提供していません」と。

・ミスタードーナツ(駅構内1F) ×
店内に複数コンセントがあるが、店員さんに聞くと使ってはいけないとの指示。
最近はコンセントに蓋がされている。

・モスバーガー(駅構内1F) ×
店員に聞くも「そういうものはお受けしてないんですが」と。
コンセントは確認できるのだが・・・素直に近くのドトールへ行くのがよさそう。

【名鉄岐阜駅近く】
プロント ◎
禁煙席に2ヶ所、喫煙席奥に1ヶ所電源あり。
丁度席が埋まっていたが、店員さんに「携帯の充電でしたらカウンターでもお引き受けしますよ」との有り難いお言葉。
PCでの使用も問題なさそう。

・マクドナルド ?
1F2Fともコンセントはあるが、以前は使えたが今は電源が来ていないのでは・・・?

・ドトール ×
店員さんに尋ねるも、「電源の使用はお断りしています」とぴしゃりと。
ドトールでも岐阜駅とは違うのね・・・。

【コメダ珈琲】(new!)
岐阜駅東店 ◯
JR岐阜駅から東へ移動し名鉄の高架下の小さいアーチをくぐること7,8分の店。
禁煙席だとコンセントは二箇所あるが席の側にはなく、ソファの後ろ側にまわる形になる。
使用はOKとのことだが店員さんに場所を聞き許可をとってから、使うのが良さそう。

【柳ヶ瀬・徹明町近く】
ラシェーズ ◯
電源は店主さんにヒトコト言えば使えるものの、席が少ないのは要注意w。

【JR大垣駅】(new!)
・ミスタードーナツ ×
お店の人に聞いたら、想定していないようで動揺させてしまった・・・電源求めてどうもすいません。
大垣駅近辺はカフェ自体も多くないので、調査続行中。

【JR高田馬場駅近く】
・さかえ通りの、ニューヨークカフェ ◯
ルノアール系列ということもありカウンター席下に電源あり。

2011年1月8日土曜日

発展途上の中部圏のロボット産業振興

7日に、愛知県主催の「あいち次世代ロボットフェスタ2011」@ウインクあいちへ行ってきた。
名古屋駅からすぐ、トヨタ自動車と毎日新聞が共同開発したミッドランドスクエアの裏に展示会や会議などが開催可能な県の大きな施設が出来ている。
会場に入ると・・・いきなり人が少なく拍子抜け。
昨年はもう少し人出が多かったと思ったのだが、やはり「ロボットバブル」は弾けつつあるのだろうか。

ともあれ展示をと思い見て回るが、やはり技術展示が中心。
出展者は真摯に対応しているものばかりだが、残念ながら新しい機軸は感じられない。
昨年のアンケートでかなり辛口の意見を書いておいたが、中の人には別の機会に私が書いたとすっかりバレていたのはまぁともかくとして。
やはり「出口」をきちんと意識しているかどうかの差は随分大きいと言わざるをえない。
今回の展示でも、販路や具体的な顧客の姿が掴めている展示は魅力的である。

逆に言えば、愛知県はこれら技術を誰にどう売ろうとしているのががよく見えなかった。
いや、実は我々とて人のことを言える義理ではない。
愛知に限らず地方自治体のロボット産業振興の企画は総倒れ状態が続いている。
私は現在経済産業省の中の人らと共にその処方箋を書いているわけだが、きちんとお薬を飲んで治す気力のある自治体が少ないというのが正しいところ。
あちこちの自治体の方ともお話をしてきたが、処方箋の中身が理解できる自治体、そして役所の担当者、さらには企業トップが揃ってもらわないと容易に治る病も難治性のものになってしまう。
愛知の県担当者は非常に頑張ってこの催しに準備してきたことはよく理解している。
それだけに胸が痛むところがあるのだ。

講演でよく言っている「産官学それぞれのエゴ」は依然として存在している。
ものづくりの地域として売りだしてきた地方だが、中部圏でのロボット産業振興はまだまだ発展途上。
地元製造業企業の話を聞いても、あまり悠長に研究を進めていられる空気でないこともよく分かる。
自動車産業を背景にして保ってきた地域としての優位性は、それほど維持されているわけでもない。
合意形成やプロジェクト遂行に時間とコストが掛かりすぎてきたこれまでの状況をどう変えて、スピーディーに進められるかが中部の次の課題だろう。
啓発のための事業もまだまだ必要であるし、そして地域に次の種を播いてゆく地道な作業は別途行わねばいけないのだが。

2011年1月6日木曜日

大学生の酒の呑み方というもの

今朝、ツイッターで流れてきたニュースで血圧を上げる。

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「佐賀大、サークルコンパ届け出制に 一気飲みなし念書も」(朝日)
http://www.asahi.com/national/update/0105/SEB201101050056.html

佐賀大学(佐賀市)は、コンパなどの飲み会を開く学生サークルに対し、計画書と、一気飲みを強要しないなどの誓約書を提出させる方針を決めた。昨年3 月、理工学部1年でラグビー部員の男子学生(当時19)が部のコンパで飲酒後に死亡する事故があり、新年会や卒業生追い出しコンパを控えて再発防止を図る のが狙いだ。
大学によると、計画書には参加者の氏名と店名、開始と終了の予定時間などを記入させる。未成年者の飲酒や一気飲みの強要などはしないという代表者の誓約書も出させる。実施に向け準備中だが、昨年12月から一部のサークルに計画書を提出させている。
佐賀大には約110の公認サークルがある。瀬口昌洋副学長は「学内には、そこまでする必要はないという異論もあったが、痛ましい事故から学生を守るために考えた」と説明する。提出しなかったり誓約に反したりした場合の罰則は今後検討するという。
昨年3月に死亡したラグビー部員は、ビールや日本酒を一気飲みしていた。大学側は、この事故の後も救急車で学生が運ばれたケースを2件把握しているという。
学生の受け止め方は様々だ。運動部の4年男子(22)は「コンパでは結構な量の酒を飲む。届け出制は仕方ない」。文化系サークルに所属する1年男子(19)は「一律に届けさせるのはおかしい。やりすぎではないか」と疑問を呈した。・・・(以下略)
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この記事を見る分に、急性アルコール中毒に関して何も解決になっていない。
計画書と誓約書はどういう効果があるというのだろう。
抑止効果というにはあまりに拙い。学生に圧力掛けて再発は無くなるのか?と。
そしてもう一つ、大学生を一人の大人(まあ1,2年には未成年もいるが)として見ているとは到底思えないというのがある。
大学生の酒の呑み方に、大学当局が介入するって何か馬鹿馬鹿しいと思ってしまう。
情報を与えるなりして自分たちで考えさせなさいよ、と(記事の末尾に同様の指摘がある)。
邪推すると、誓約書を取ることで万一次の事故が起こったときに大学側の責任逃れに使われるんじゃないかとすら感じてしまう。

自分について言えば、酒の呑み方は先輩や先生に教わったというのが正直なところ。
そして酔っ払った人間の扱い方や処置についても教えてもらった。
アルコールの血中濃度が上がるのとともに、酔っぱらいは吐瀉物で窒息するのも危ない、と。
だから酔いつぶれた学生は絶対横を向かせて寝かせるんだとも。
穏健な研究会やサークルに属していたからかも知れぬが、自分は悪質な飲み会というのには縁がなかった。

前任校の武蔵野美大で、酒に関するトラブルがあった直後に学内での飲酒禁止が教授会で決まったことがあった。
学生が指示に従順であったのが当時助手の自分としては意外で、いろいろけしかけたりもした。
学園祭前の時期でもあったので、酒について知ってもらう仕掛け作りや救護班の準備など幾つかの提案を学生に仕込んだ。
赤十字辺りに相談すれば喜んでパッチテストの支援もしてくれるだろうと。
そして救護スタッフのなり手が無いと学生が泣きつくと、「どこかでナース服を探して来い」と指示もした。
結果として学園祭では条件付きでの飲酒OKとなり、皆が入り口でパッチテストを受け、学内では高い競争率を勝ち抜いてナース姿となった学生さんが救護班として闊歩することとなった。
この記事の大学にはそういう空気が感じられないのは残念であり。

酒による悲惨な事故は出来るだけ避けねばならない。
でもそのやり方はいろいろあるはずであり。
規制を掛けるだけでなく教員や事務局員で対処できることももっとあるよね、というのを感じた次第。
国立大学さんのことでもあるので自分とは文化が違うのかも知れないけれど。
ちょっと寂しい記事でもあった。

2011年1月5日水曜日

WiMAXを持って街を彷徨う

12月30日にビック名古屋でWiMAXを購入。
2011年はこれまで以上に外に出ての仕事が増えそうかなという予感あり。
その中でモバイル改め「ノマド」スタイルでの仕事するにはネットの接続は必要と考えた次第。
機種はURoad-7000。1円だったこともあるが、月々4000円を切る低価格で高速がウリ。
電池があまり持たない(3.5時間)というのが心配だったが、基本的にはPCとセットで動くので無問題と判断。
世間ではソフトバンクの電波事情の悪さでバックアップ用に使うことも多いらしいが、iPhoneも駄目は駄目なりに一応は繋がるので、割りきって購入。
コネクタが特殊なのでPC接続には専用USBケーブルを持ち歩く必要あり。
そしてこれは給電用で充電はACのみとあるが、検索するといろいろ逃げ道はあるらしく一安心。

てことで、暮れから名鉄岐阜駅近くの自宅やら岐阜市内数カ所のカフェで使ってみた。
結果から言えば常時2~3Mbpsは出ていることを確認する。
見た目の数字は低いが、体感的に自宅のADSLともそれほど速度が変わらない印象に驚く。
まあうちはNTTの巡り合わせはずっと以前から良くはないのだが・・・。
ネットを見てまわると、WiMAXはADSL駆逐の野望を抱えて展開しているところがあるらしい。
WiMAX公称で最高40Mbps、というのは勿論岐阜では期待してなかったが、まあ十分だなと。

で、今日名古屋へ行く際に持参してみたが、金山駅前でふっと速度を確認すると 5Mbps以上に。

流石は名古屋であるw。
今も岐阜ではとりあえず繋がる程度だが、本当に速度が上がってゆくのかも知れぬ。
自宅ADSLの契約をどうしようかとも思案中だが、ノマドスタイル自体が加速しそうな予感でもある。

ただ今日気づいたこと。
地下鉄は予想していたが地下街も結構な割合で繋がらない。
名駅の地下街をずっと歩く中、接続は殆どできなかった。
説明の中で、コンクリの箱の中はちと厳しいかもとは事前情報があったが、地下もまだ弱いとは。
ノマドの際には地下のカフェは選択から外す必要がありそうだ。

ともあれ、これでさらに行動半径が広がるのは間違いない。
コンパクトデジ一眼、PCサブノートなど現在の物欲の中で、真っ先に処理できたが、満足度も高い。

2011年1月4日火曜日

さてぼちぼち

長いこと確保だけしていたgoogleブログをそろそろ活用しようかと思案中。
岐阜での先端技術経営の活動とともに、まちあるき・まちづくり、地域資源に関する内容をここでまとめてゆこうかと思っています。