2011年2月26日土曜日

地方を司る、お役人のような人々

このところ、岐阜で地元自治体や経済団体での講演や会議が続いた。その中で、非常に良く考えられたと見える企画や意見、提案に接することがある。 ◯◯大学の指導を受けた、△△シンクタンクの助言を受け、云々。企業の方がお話になるにしても、体裁は非常によくできている。

ただ、正直それが出来がいいものとは限らない。少々眉をひそめるような内容のものに遭遇することもある。非常に視野が狭い内容であったり、本当に対象となる人々のためになるとは余り思えなかったり。

そういう場にある程度共通しているのが、非常に優秀な、会議なり企画なりをうまくまとめるのが目的のようにおいでの方々の存在でもある。仕事を進める上では組織の中堅幹部としては充分使い甲斐もあるのだろうが、悪い言い方をすれば、新たなところに踏み込まない言い訳をつくるのが大変お上手であったり、あらかじめ描いてある自分のストーリーに状況をはめ込むのが上手かったり・・・こういう方々は、場を混乱させる提案を嫌うものでもある。

そういうところを見ていると、ある意味でのお役人的仕事ぶりには感服してしまうのだ。地方では、役所に限らずそこそこの規模の民間企業の現場でこういう人はデキる人として扱われているはずである。人材の確保に苦労する中では各社、各自治体でも貴重な存在であり、その点で私には無いそつのなさはある意味で羨ましいくらいでもある。

ただ、地方を司る、こういう人々が地域が変わるのを妨げているなと感じるのも事実。議会はあらかじめ台本が出来ている、ディスカッションは嵐が去るのを待つが如くに理論武装をして参加する・・・これでは何か新しいことを始めようとしても動き出すことはない。結果的に、意識すること無く、混乱させない、変えないという方向に地域を引っ張って行ってしまうのがこういう優秀に見える一部の人々の存在なのかもしれない。

自分の特性としては、元来人にとにかく喋らせることに意義があると考えてここまで動いてきている。関係者の話を皆で聞きながら参加者には考えてもらいたいものなのだが、答えが最初からあって参加してるんなら、会議に出てくる必要は無いよね、と感じつつ。

その点で、私はお役人的アプローチの方よりは、素朴ではあるけれど経営者の理念がストレートに出てくるほうを好む。大学の先生の意見の鎧は無いけれど、自分の思う地域像だったり、女性社員だったり、子供問題だったり、そういう所に自身の考えで言葉を並べてくれるのは聞いていてもこちらも身を乗り出すように聞けるし、その具体化には知恵をめぐらせたいと思うもの。 会議・会合が多少荒れるのは面白いものなのだ。

あちこちの自治体や地域で、ここ最近いろいろな混乱状況が起きているが、こういうことを考えると、予定調和の世界から脱し、場を少々引っ掻き回して地域にそこそこの混乱を引き起こすてのは社会に必要なのだろうとも達観したりもしている。

・・・これを感じたのは、就職を考える学生さんらとの話の中でのことなのだが、学生さんがちょっとナイーブだなと思ったというのはまた別の機会に。

(上ではお役人という表現をややネガティブな意味で使っているが、勿論アクティブで一緒に仕事していてエキサイティングな役所の方もおいでではあることは記しておく。)

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